大学の美術部で一緒だったN君の奥さんから喪中葉書が来た。
「8月に主人が永眠しました」
この30年近くは年賀状くらいの付き合いだった。
卒業後、何年かは行ったり来たりしていた。
私の、一番気楽でのんきな時代に現れて、去って行った。
本当にいいやつだった。
伊賀上野出身で、小柄でメガネをかけていた。
人が良くて真面目だった。
私は、人が悪くてふざけていたので、いいコンビだったのだ。
私の下宿に遊びに来て、二人で食事に出た。
その時彼はたくさん荷物を持っていて両手に下げていた。
持ってやろうして、ぐっと思いとどまった。
私のいたずら心が頭をもたげたのだ。
しばらく歩いた時、彼が言った。
「ねえ、一つ持ってくれない?」
待ってました!
私は間髪を入れず答えた。
「いやだ」
彼はさっと空を見上げた。
「ぼく、そんなひどいこと言われたの、生まれてはじめてだよ!」
顔面が紅潮していた。
「持つ持つ持つ!持たせてー!」
私は彼から荷物を奪い取った。
「どうしてそんなこと言うんだよ」
なじかは知らねど、君を見てると言いたくなるんですよ。
大学の食堂で二人でカレーライスを食べていた。
彼の友達が通りかかった。
N君は、「あ、ノートありがとう」と声をかけて、カバンから大学ノートを取り出した。
試験前だったので、友人のノートを借りていたようだ。
渡しながらN君は、「あまり良く整理できてないね」と言った。
私は椅子から滑り落ちそうになった。
友達は苦笑いしていた。
N君は、一年の時下宿で「くも膜下出血」で倒れた。
美術部の友人たちと病院に見舞いに行った。
幸いたいした事は無かったようで、ベッドの彼は元気そうだった。
うれしそうに、「可愛い看護婦さんがいるんだよ」と言った。
隣のベッドのおじさんが、ぷっと吹き出した。
4年生のBさんが、「なんだ、『愛染かつら』みたいじゃないか」と言った。
「愛染かつら」!
古〜〜!
美術部で文集を作ったことがある。
私が「編集委員」となってガリ版を切った。
N君は、幼い頃の思い出を書いた。
「コロコロと転がる球の行方を見守るように、母が幼い私を見守ってくれていた」
印象に残る書き出しだった。
拾ってきた犬を、親に言われて捨てに行く話だった。
N君は、文学青年ではなかったが、文章は文学的だった。