初めて見たN君の絵は風景画だった。
手前に松、海には島が浮かんでいる。
「観光地の絵葉書みたい」という悪口がピッタリの絵だ。
センスも技術も無いなあと思いながら、ひきつけられるのが不思議だった。
彼が家庭教師をしていた男の子を描いた絵もあった。
椅子に座った男の子の足元に犬がうずくまっている絵だ。
どれも、彼のほのぼのとした人柄と違って、「ゴッホ、ムンク」系の、人を不安に陥れるような絵だった。
彼の文章にも絵にも、わけのわから無い魅力を感じた。
純情な彼は、私の事を、わけのわからん男だと思っていただろう。
私のふざけたところを面白がっていたと思う。
「鹿せんべいツイスト」のCDを送ったとき、絶賛してくれた。
趣味も性格も違ったが、ウマが合ったというのか。
卒業して間もなく、二人で始まったばかりの万国博に行った。
寒々としたドイツ館でビールを飲んだ。
民族衣装を着たドイツのおばさんがビールを運んできた。
彼は愛知県の会社に就職した。
時々、大阪出張があってウチに寄った。
名古屋と大阪の中間で会おうと言って、近鉄沿線のどこだったかで会ったこともある。
ビールを飲んだ後、池でボートをこいだ。
何の心配も無いかのような、気楽な二人だった。
28年前、私の結婚式の2週間後に、彼は故郷の伊賀上野で式を挙げた。
相手の女性は、中学校の先生だった。
私は披露宴で挨拶したが、何を話したか忘れた。
新婦側の出席者の挨拶を覚えている。
「新婦○子さんは、学校へ行く前に、畑を一枚耕して行く働き者です」
私は、これでN君も安心だ、と年よりじみたことを考えた。
新婚旅行に出発する二人を、私たちは伊賀上野の駅まで見送りに行った。
小さな駅で、ここに特急が止まるのだろうかと思った。
特急列車がやってきた。
私たちは、盛大に万歳三唱した。
歓声に送られて二人は列車に乗り込んだ。
車内を、私たちのほうにやってきた。
私たちは、もう一度盛大に万歳三唱した。
乗客たちはニコニコと、二人を祝福しているようだった。
列車が動き出した。
車内の注目を浴びててれたようなN君が、私たちに向って片手を挙げた。
これが私が見たN君の最後の姿になってしまった。
奥さんに電話をした。
奥さんと話すのは結婚式以来だ。
「子供にも私にも優しい、本当にいい主人でした」
N君がてれております。