若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

役立たず

高校美術部の大先輩Nさんから電話。

大先輩とはえ、年賀状のやり取りもないくらいで、電話は二度目かな。

一度めは、私の初個展の後でした。
個展がすんだ後で知ったNさんが電話をくれた。

「行きたかったなあ。今、どんな絵を描いてるんや」
「写実的肖像画です」
「・・・行かんでよかった」

Nさんは、わが美術部のドンです。

旧家の御曹司である。
旧家と言っても、江戸時代から続くてなもんやおません。
奈良時代からというものすごい旧家である。
ものすごいお屋敷だという話でした。

一回りちがいだから、私が高校に入ったときはおじさんに見えたけど、あとで思えば青年歯科医師であった。
大阪の一等地にお父さんの代からの歯科医院、リッチな患者さんばかりという話でした。

Nさんは、よく学校に来てくれた。
ジュースや菓子パンを差し入れしてくれた。
そして、絵を描き終わった後輩たち十人ほどを、学校近くの中華料理店「餃子園」に連れて行ってくれた。

一皿60円の餃子を十皿注文して、ポンと600円払ってくれるNさんをみて、私は、日本でこんな金持ちいてるかなと感心した。

Nさんは、「美術部命」という感じの人で、熱心に母校に通ってくれた。
卒業したらNさんのように母校に通おうと固く心に誓っただけの私とはおおちがいなのであったた。

そのNさんからの突然の電話は、とうぜん、美術部に関することであった。

Nさんは、美術部の歴史を書こうとしているようだ。
私たちの高校の美術部は、毎日新聞主催の「美術甲子園」みたいなのを目指して燃えていました。

私の在学中、3年連続で「最優秀学校賞」という輝かしい成果を収めたんですがが、Nさんはそのあたりのことを聞いてきたんです。

1年生と2年生の時のことはよくおぼえてたけど、3年生の時のことは記憶がはっきりしない。
それで、「部長だったA君に聞かれたらはっきりすると思います」と言ったら、「Aか・・・。あいつ、ボケとるからなあ」

「い、いや、彼は幹部社員として活躍してたわけですし」
「あいつ、たよりないんや。まあ、あいつに聞いてみるわ」
「お役にたてずすみません」

すると、Nさんは、「ほんまに役に立たんなあ」と言って電話を切った。

五十年前の餃子に免じて許す。