なぜ毎年今頃になって気づくのか。
朝、バス停に行く手前の駐車場の金網に朝顔が咲いている。
朝顔としてはかなりさびしい部類だ。
小さな、紫がかった青い花がポツリポツリと咲いている。
葉も小さい。
駐車場のアスファルトの隙間から、生えてくるだけでも立派だとも思える。
はじめは誰かが植えたのだろうか。
今では、花が咲いて種が落ちての繰り返しで今年もなんとかかろうじて咲いているな、という感じだ。
同じ色、同じ大きさで、突然変異で真っ赤になったり大輪が咲いたりということはない。
この場所で生えて小さな花を咲かせるだけで精一杯という感じだ。
いつも、何か面白いことや変わったことがないかと目を光らせている私が、この朝顔にはこの時期になるまで気がつかない。
夏は終わって朝は涼しくなったけれど、今日も昼は暑くなるだろうなという時期になってやっと気がつく。
気がつくといつもはっとする。
今まで気がつかなかったことに気づいてはっとする。
なんとなく後ろめたい。
おわびの印に、癒し系詩人としては詩でも作ろうかという気になる。
「そのまんまでいいんだよ」とか、「誰にも気づかれず小さな花を咲かせてる、そんなおまえを見ていると」とか、色々書けそうだ。
しかし、癒し系の詩の素材にするのは失礼だと思うのでやめておこう。
そう言えば、癒し系詩人には失礼な人が多い。
なんでも適当に詩の材料にする。
気のきいたことを書こうとする。
やめてほしいと思っている草や木や花や石ころは多いと思う。
気のきいたことを書けない言い訳ではありません。