若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

うぐいす

一月半ばから鳴きはじめたうぐいすが、最近本格的に「ホーホケキョ」と鳴くようになったと言いたいところだが、「ホーホケキョ」と鳴いていると言っていいのか。

「ホーホケキョ」とは聞こえない。
まず、「ホー」とは聞こえない。
「ホケキョ」とも聞こえない。
「ホーホケキョ」の中で何とか納得できるのは「−」の部分だけだ。
ここは「−」でいいと思う。
「−」は非常に便利である。
よくできている。
中国語や英語には「−」はない。
どうするのだろうか。
中国語や英語に「−」はないけど、中国人やイギリス人は「−」と言える。
ナゾだ。

ややこしい話はやめておこう。
人類と発声器官がちがうから、鳥類の鳴き声を文字で表わすのは無理なのだろうか。
「コケコッコー」もちがうと思うが、英語の「コッカードゥードルドゥー」よりましだ。
中学の英語の時間に、ニワトリは英語では「コッカードゥードルドゥー」と鳴くと習ったとき、イギリス人は頭がおかしいと思った。

国連で、「鳥の鳴き声世界統一会議」が開かれたら、多数決で「コケコッコー」が勝つ。
と思う。
エスペラント語では鳥はなんと鳴くのだろうか。

ややこしい話はやめておこう。
一月に鳴きはじめたうぐいすは、だんだん上手に鳴くようになる。
不思議である。

うまい人がいてその人のまねをしてうまくなるのならわかる。
一月は皆へただ。
なぜうまくなるのか。

うまくなっていると思っているのは人間だけで、本当は下手になっているのかもしれない。
うぐいす的には鳴きはじめが一番良くて、慣れるに従って落ちていっているのかもしれない。
「ホーホケキョ」と鳴きながら、こんなはずじゃない、あの頃の「ケケ」とか「けきょ」とかいう鳴き方がなぜできないのかと悩んでいるのかもしれない。
初心忘るべからず、と反省しているのかもしれない。

朝、バス停への道で。「ホーホケキョ」と聞こえた。
すると、他の鳥たちがいっせいに、「ぴーぴー」「ちゅーちゅー」「ちゅんちゅく」となきわめく。
「ホーホケキョ」と鳴くと、またいっせいになきわめく。
邪魔をしているとしか思えない。
鳥の世界も大変である。