若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

なぜ書くのか

『鉛筆で書く奥の細道

なぜ書くのか。
ボケ防止かな。
読むだけより『奥の細道』がよくわかると思うが、書く気はしない。

『声に出して読みたい日本語』もボケ防止かな。
中学一年の時英語の先生が、「読書百遍意おのずから通ず」という言葉を教えてくれた。
わからなくてもよろしい、声に出して百遍読んでごらん。

「百遍」はできなかったが、三十遍読んでみた。
なんとなく、「意おのずから通ず」るような気がした。
続けていればもう少し偉くなったかなと思うが一学期しか続きませんでした。
残念である。

世界的アッシリア学者ジャン・ボテロは、あなたは、なぜ、何のために書くのですか、と問われて、「私は、理解するために書く。自分のために書く」と答えている。

たぶん彼は、次のように言っているのだと思う。

私は自分が疑問に思っていることを理解するために書く。
理解するとは、あいまいな状況をはっきりさせることである。
こんがらかっている概念や事柄をすっきりさせることである。

理解するとは、単に自分が「理解した」と思うことではない。
自分がその結論に至った道筋を、他の人たちに、むつかしい術語などを使わずに書いて納得してもらうことである。

そのような文章が「良いフランス語」である。
「良いフランス語」が書けたとき、私の目的は達せられたのである。

ただし、そのように「理解できた」と思っても、そのときの自分の思い込みに過ぎないことが多い。
他の人の書いたものを読んだり、他の人の話を聞いたりして、自分はまともに理解していなかったことに気づく。

そのとき、私はまた新たに書き始める。
つまり考え始める。

ふむふむ。
ジャン・ボテロは、書くことは考えることであると言ってるのだな。
書くことは見ることであり、聞くことであると言っているように思える。

なるほど!と共感する。
「読書百遍」と同じだ。

あとは続けるだけですね。
私も中学一年生じゃないのだ。
一学期以上は続けよう。