若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

贈る言葉

昨日は、誕生会であった。

私のではない。
長女の会社の上司の誕生会。
部下の女性たちに祝ってもらえるとは、ハッピーですね。

娘が、プレゼントに鏡を選んだと聞いたとき、おや?と思った。
上司は女性なのか。

家内も次女も口をそろえて、「男だって鏡は使うでしょ」

それはそうですが。
ネクタイとかハンカチを思い浮かべるのは、トシなのであろうか。

まあ、鏡でもよろしい。
よろしいが、値段を聞いて驚いた。

300円!

上司に贈る誕生プレゼントが300円とは・・・。
もちろん、プレゼントは値段ではない。
贈る人の心だ。
娘は、その鏡に印刷された「ことば」が気に入って選んだと言う。

「私は誰の指図も受けない」

ウ、ウチの娘、だいじょうぶかな。(-_-;)

若者の遊び心なのだろう。
しかし、時と場合ということがある。
私も遊び心はあるほうだと思うが、これはちょっとどうかと思った。

遊び心といっても、ただふざければいいというものではない。
心の余裕や、教養、人間的な幅の広さを感じさせるものであってほしい。

鏡を贈るにしても、もう少しまともな鏡があるのではないか。
たとえば、デパートの記念品売り場などで見かける、古代中国の銅鏡の複製品でもいい。
古代、鏡は呪力を持つものとして、不老長寿や繁栄などを祈って贈られた。
卑弥呼が贈られたという鏡もそうだし、各地で発掘されているさまざまな銅鏡も、そのような意味合いを持つものである。
誕生祝としてふさわしいと思う。

「課長、私からのプレゼントです」
「ほほう、銅鏡か。その心は?」
「男は銅鏡!」
「ええかげんにしなさいっ!」
「ホントにネッ!」