若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

前世の因縁

11時前、奈良ビブレ前広場でスタンバイ、準備万端整った。
足りないのは客である。

人がいませんよ。
「大人の音楽教室」のためのイベントなのであるが、「大人」がいない。
ビブレにポツリポツリと入っていくのは若者である。広場には、小さな子供連れ、若いカップルが何組か。たまに、自転車を押して老人が通り過ぎる。
ヤマハのスタッフの女性たちが、「大人の音楽教室生徒募集」のチラシを配ろうとするのであるが、ターゲットとなるべき「大人」がいない。

くそー!ワシのギターを聞いてくれ!というような浅ましい叫び声はあげない。
諦観。阿弥陀如来の心境である。わが心の阿弥陀池にはさざなみ一つ立たず。八方の衆生よ、ワシのギターを聞いてくれと祈るのみである。

もう11時だ、はじめるのかな、もう少し人が集まるのを待つのかなと、まばらな人達を眺めていたら、わが心の阿弥陀池に波が立つのを感じた。
誰かが、石を投げ込んだようだ。

誰じゃ。
どうも、正面にいる二人連れの女性があやしい。私は、右手を頬に当て、弥勒菩薩半跏思惟像のポーズをとった。考え事をするときはいつもこうする。

おお!
一人は、今年若草山に来てくれた美貌の女子大学院生あつ子さんのお友達だ!凸1+凹2の、凹1さんだ。なぜここに?

その横にいるのは?凸であるが、あつ子さんであるはずがない。彼女は、今東京で全力をあげて修士論文に取り組んでいる。こんなところにいるはずがない。いるはずのない人が何故?
ギターをさげて、半跏思惟像ポーズなので、だんだん足がしびれてくる。
私の端正な顔が苦悶にゆがんだ。その瞬間、疑問は一気に氷解した。

正倉院展

国文学専攻で、皇后光明子が心の支えという彼女にとって、正倉院展は年に一度の里帰りというところなのだろう。正倉院展にお友達を誘ってやってきて、そのついでに立ち寄ってくれたものと納得。
納得したのもつかの間、彼女は、そうではなく、私のギターを聞くために東京から夜行バスで来たのだという。まさかそんなことがと、再び私の端正な顔が苦悶にゆがんだところに、あつ子さんのお母さんまで登場。
頭がこんがらかってしまった。
ひょっとすると、あつ子さんは、前世で生き別れになった私の娘なのかもしれないと、半跏思惟像ポーズを解きながら思った。