若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

小島晋治『近代日中関係史断章』

大学のとき習った先生の本なので買ってみた。

幕末から昭和にかけて、日本人と中国人がお互いをどう見ていたか、まあ、おもに日本人が中国をどう見ていたかという本だ。

江戸時代、日本人の多くは中国を尊敬していた。
とんでもなく尊敬していた人もいたようだ。

1751年、八丈島に中国の船が漂着した。
担当の幕府の役人は、「このたび、天の恵みにより、われわれ日本人が古来尊敬している中国の方にお会いすることができ、恐悦至極に存じ上げ奉り候」てなことを言って、中国の船頭さんをまごつかせたそうだ。

それほど尊敬し恐れていたのに、中国がアヘン戦争に負けたと知ると、一気に軽蔑するようになったらしい。
「一気軽蔑組」には、漢学を学んだ人、仏教を学んだ人、国学を学んだ人などがいたはずだ。
ヘンに教養があるから尊敬したり軽蔑したりする。
ヘンに教養があるのも考えものだ。

黒船や西洋列強のアジア侵略を見て、国防の充実が叫ばれたとき、吉田松陰は、そんなことではだめだといった。
大砲を作るより、農機具を作って民力を養うべきだと主張した。
立派な意見だが、そんな悠長な、思われただろう。

そのころ、イギリスは、日本や中国など、アジアの国々が連合して西欧に対抗することを恐れていたようだ。
だから、イギリス政府が対中国戦争に使う馬を、幕府から購入しようとしたとき、イギリス公使オールコックは、同じアジアの日本が応じるはずがないと考えていた。
ところが幕府がOKしたので、オールコックは驚いている。
幕府は、イギリスにいい顔をしたかったようだが、ちょっと情けない話だ。

大学時代、小島先生の「太平天国の乱」の講義に出た。
太平天国の乱」は、19世紀に清朝を揺るがした大乱であるが、もちろん、何を習ったかはすっかり忘れた。

レポートを書いたことを思い出した。
もちろん、何を書いたかは忘れた。
図書館で参考になるような本を探して書いた。

たしか、カール・ウイットフォーゲルという人の本だったと思って、インターネットで調べたら、「当たり!」でした。

私の脳に聞きたい。
40年以上前に、レポートを書くために一度だけ読んだ本のややこしい著者名を、なぜおぼえているのだ。