近所のY先生とばったり出会った。
先生は、いつものように犬を抱いている。
先生は、長女の高校の教頭で、その後、県立高校の校長を務めて退職された。
温厚篤実という感じの方だ。
先生の退職間もないころ、バスで会ったことがある。
先生は、しみじみと、「仕事やめたらあきませんなあ」といった。
二十年以上続けていた趣味の書道をする気がなくなったという。
仕事をやめて、何もする気がなくなった。
そんなときでも、犬の散歩は欠かさない。
早朝、日中、夕方、犬を抱っこして先生は歩く。
二十年近く、先生が犬を散歩させる姿を見続けてきたことになる。
いや、犬を散歩させてるのじゃない。
犬を抱っこして歩いてる。
たぶん「なんとかテリア」という犬だと思う。
犬を抱っこした先生と立ち話。
二十年近く見続けているのだから、かなりの高齢犬だろう。
何歳ですかと聞いたら、8歳とのこと。
意外に若い。
もっと年かと思ってましたといったら、前いた犬が八年前に死んで、同じ種類の犬を飼ったのだそうだ。
前の犬は7歳で死んだ。
そのときの悲しさは口ではいえない。
胸が張り裂けるとはあのことです。
二度とこんな悲しい思いはしたくないと思って、犬は飼わないつもりだった。
固く心に決めたのだが、食事がのどを通らない。
死んだ犬の顔が頭から離れない。
それでも、あの悲しさを思えば、飼うべきでない。
そんなある日、近所の人から、「お宅の奥さん、最近おかしいのとちがいますか」と言われた。
泣きながら歩いている姿を何度も見たという。
それで先生は、また犬を飼う決心をした。
「それがこの子です」
う〜む・・・。
先生は、犬を抱っこしてるんじゃない。
なんだかわからんが、大変なものを抱っこしてる。
前の犬が七年で死んで、この犬は八年目。
そんな恐ろしいことを打ち明けられても、返事に困るというものです。
先生の顔も犬の顔も正視できずに会釈して別れました。