夕方、ピンポ〜ンとチャイムが鳴りました。
ゆうちゃんですよ。
この時間のチャイムはゆうちゃんです。
ゆうちゃんが鳴らすわけじゃないですが。
ビールを飲みかかってた私はコップを置いて急行。
ドアを開けて門の方を見ると、たしかにゆうちゃんの顔は見えるんですが、いつもの超豪華乳母車でもなく豪華バギーでもない。
と、ここまで読んで、なんかヘンだな、きのうといっしょじゃないか、鹿之助、ついにぼけたか、いや、鹿之助のまだらボケがついに本格的になって来たかと、喜んでるあなた、残念ながら、ちゃいます。
きのうと同じだからきのうと同じことを書いてるだけです。
リアリストとして、淡々と書いてます。
娘夫婦が、徒歩二分圏内に住んでると、きのうと同じことがよく起きるんです。
娘夫婦が、ロサンゼルスに住んでると、こうはいきません。
いいような悪いような、い、い、いや、いいです。
とってもいいです。
人生、同じことの繰り返しです。
なんの変哲もない、同じことが日々繰り返されるということの有難さを、心に刻まなければならない。
なんの話か。
夕方、ゆうちゃんが来た話です。
きのうとちがうのは、ゆうちゃんのパパがいっしょだということです。
いっしょなのはいいんですが、パパがこういうこと↓をするんですな。
あぶな〜〜〜い!
危険である。
落としたらどうする!?
こういうのって、「ゆうちゃんのパパが暴徒化した」というんじゃないでしょうか。
乱暴極まりない。
見てられませんよ。
しかし、貧弱なわが胸に手を当てて思い返せば、私も30年ほど前はこういうことをやってましたね。
ただ、ゆうちゃんのパパとちがうのは、わたしは、こういうことを危なげなくやってた。
周囲をハラハラさせるようなことはなかった。
と思います。
ゆうちゃんのパパとママの不思議な危険性をどう評価すればいいのか、悩む所である。