本棚の整理をしてたら、古いはがきが2枚出てきました。
2枚とも、伯母が「幼児教育」について学ぶためアメリカに留学した時のものです。
1枚目。
昭和6年7月1日。
「過日はご多用中にもかかわりませず皆様より懇切なる送別の御辞を賜り身に余る光栄と存じております然るにまた丁寧なるお餞別を頂き有難く厚くお礼申し上げます将来御厚意を無に致さぬよう至らぬ身ながら努力いたしたいと存じて居ります今後ともよろしく御導き下さいませ
尚種々の都合上七月六日午前中に阪急にて神戸に参り午后三時郵船平安丸にて出発致す事になりました終わりに皆様のご健康を偏へにお祈り申上げます」
漢字は古い字体で、句読点なしというのが読み辛いです。
2枚目。
昭和6年7月10日。
「拝啓今般私共の出発に際し種々御厚情を御寄せ下され實に有りがたく御礼申し上げます幸に両人とも元気にて本日米国に向け横浜を出帆致しました何卒再び御目にかかる日まで皆様御健康に御幸福に在らせられる様御祈り申し上ます右はお礼まで」
「両人」というのは、伯母と、アメリカ人「マーガレット、エム、クック」さんです。
7月6日神戸港出発で、7月10日横浜港出発。
船の旅の時代は、こういう感じだったんですね。
伯母から聞いた話では、出発の時、家族で水杯を交わしたそうです。
「アメリカは男女関係が乱れてるから、その風潮に染まらず、しっかり操を守りなさい」というようなことも言われたそうです。
はがきの言葉通り、伯母は努力を重ね、幼児教育一筋の人生を送りました。
立派なものでしたが、最後の十年は寝たきりで、気の毒でした。
残念ながら、私がぱっと思い浮かべるのは、亡くなる何年か前、私が持って行ったアルバムのページを、無表情に無茶苦茶にバサバサ動かす伯母の姿です。
もちろん、立派な姿もおぼえてるんですが。
フィリピンのマルコス政権の時、伯母が、「この国には革命がおきんとダメやね」といったこととか。
ところが、ぱっと思い浮かぶのは、アルバムバサバサです。
困ったもんである。