尼崎の列車脱線事故から受ける衝撃はなんだろうか。
地震や津波と違って、人間が引き起こした惨事であることが、衝撃の大きさの理由だろう。
自分も、運転手だったかもしれないし、会社の管理責任者だったかもしれないし、乗客だったかもしれない。
現代の、特に大都会では、いろんな人やものが複雑に絡み合って生きている。
どこかが狂うととんでもないことになる。
人間は、まだ「現代社会」を建設中なのだろう。
これからも、どこかでおきるであろう「大惨事」の教訓を生かしつつ、少しずつ安全な社会に近づいていくのだろうか。
朝日新聞では、今回の事故に関して、制限時速70キロのところを、100キロを超える「暴走」であったと書いている。
これが「暴走」なら、道路は「暴走自動車」だらけだ。
私は車を運転することは少ない。
何年か前、第二阪奈道路を走って震え上がった。
制限時速60キロの非常に長いトンネルがある。しかし、60キロで走るのは、迷惑運転だった。私は、がんばって80キロで走ったが、ビュンビュン追い抜かれた。
この道路は走りたくない、と思った。
トンネル内で大惨事がおきれば、何らかの対策が採られることと思う。
日本は「暴走社会」になっているのだろう。
「暴走」はいけないが、「暴走」しないと置いていかれる。
うまく「暴走」する人が偉い。
いろんな「暴走」がある。
前に書いたが、渋滞でバスが遅れたことで、運転手に食って掛かり、バス会社に携帯で抗議するおじさんも「暴走族」だ。
サービス残業も「暴走」だし、甲子園目指して千本ノックも「暴走」だ。
「暴走」は脱線するまでとまらない。
自分が、運転手なのか、管理者なのか、乗客なのかわからんが、「暴走列車」の関係者であることは確かだ。
今回の事故で感じる衝撃は、自分がいつ被害者になっても、責任者になってもおかしくないという恐怖心によるものかもしれない。
子供のころ、母に連れられて交野市の伯母の家によく行った。
伯母の家からの帰りのことだった。
単線の京阪電車の駅で、電車が発車しようとしたとき、遠くで声が聞こえた。
見ると、かんかん照りの田んぼの中の一本道を、着物姿のおばあさんが、手を振りながら走ってくる。
おばあさんを待って電車は出発した。
50年前のある夏の日の話だ。