若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

コロナ危機に強力な援軍

朝日新聞読者投稿欄。

3歳と1歳の女の子のお父さんの投稿です。

上の子は幼稚園のはずがコロナで休園で行けなくなった。

で、姉妹と隣の双子を奥さんが家の前で遊ばせていた。

連日のことで疲れ果てますよね。

そこへ援軍登場!

近所の小学5年生の女の子二人。

これは強い!

強力な助っ人ですよ。

子供たちは大喜びで、今日は何をして遊んだとか報告する。

自転車の補助輪を外せなかったのも、おねえちゃんたちに励まされて外して乗れるようになった。

おねえちゃんに遊んでもらうって楽しいでしょうな。

 

70年以上前のことを思い出しました。

一番古い記憶かな。

「記憶とは、自分で作る物語である」という説もありますが。

 

私が初めて近所の「遊びグループ」に入れてもらった時の記憶です。

何をしたかはわからないんですが、とにかく「世の中、こんな楽しいことがあるのか!」という記憶です。

なんだかわからんままにおにいちゃん、おねえちゃんたちにまじって走り回ってた。

お楽しみの絶頂、暗くなってきたと思ったら母が迎えに来た。

「後ろ髪を引かれる思い」という言葉を知ってたら、そのものずばりの思いで母に手を引かれた私は、遊び続けるおにいちゃん、おねえちゃんたちを振り返り振り返り家に帰りました。

 

当時「ちゃりんぼ」という制度というか慣習というか、子供世界にあったんです。

ごっことかかくれんぼをするとき、小さい子も入れてやる。

その子たちはつかまったり見つかったりしても鬼にはならない。

楽しく走り回るだけ。

よくできた「制度」だったと思います。

 

野球に入れてもらったこともおぼえてます。

ピッチャーをしろと言われんだと思います。

野球もピッチャーも知らなかった。

言われた通りにボールを投げました。

バッターが打った球が私の上にふらふら上がった。

ぼんやり見上げてたら、サードを守ってたまーちゃんが猛然とダッシュしてきてピッチャーフライを捕りました。

 

監督をしろと言われたこともあります。

「鹿之助ちゃん、今日は監督やで」

「カントクってなに?」

「あそこのベンチですわって見てるんや」

ほほ~、なにかえらそうな役目だなあとうれしかったんですが、みんながニヤニヤ笑ってるのがちょっと気になった。

 

幼稚園に行くようになったころから「かっとちゃん」という一歳上の男の子に急接近しました。

かっとちゃんは、とんぼ、せみ、どじょう、えびがになんかを取るのがホントにうまかった。

かっとちゃんの後をくっついて歩いてました。

かっとちゃん一筋でした。

小学校に入っても授業が終わるとかっとちゃんの教室に行ってた。

母が担任の先生から注意されるほどでした。

それが、ある日突然かっとちゃんと遊ばなくなった。

いつなのか何かきっかけがあったのかもわかりません。

けんかしたとかいうのじゃなく、いつの間にか私の世界から消えて行った。

かっとちゃんのことを楽しく思い出して、「かっとちゃんを見捨てた」という後ろめたい気持ちも思い出してしまった。

あれはなんだったんでしょうか。

 

新聞でいい話を読んだのにイヤな感じ。