「おばあちゃん」と呼ばないで、というのは時々聞きます。
電車で老婦人に席を譲ろうとして、「おばあちゃん、どうぞ」と言ったら、私はアンタのおばあちゃんじゃない!と怒られた、というような話ですね。
今日聞いた話。
5歳の女の子A子ちゃん(特に名を秘す)に妹ができた。
両親や祖父母が、A子ちゃんに、「おねえちゃん」と呼びかけるようになった。
当然というか、自然というか、何の問題もないはずだが、予想外の展開となった。
A子ちゃんが、両親や祖父母に、「私のこと、おねえちゃんと呼ばないで」と要求したというのだ。
名前で呼んでくれという。
驚いて、じゃあ、生まれた妹には、あんたのことをなんと呼ばせるの?と聞いたら、「おねえちゃんでいい」という。
う〜む・・・。
これ、どういうこと?
私を「おねえちゃん」と呼ぶのなら、妹の方は「いもうとちゃん」と呼べ、というのではなさそうだ。
「おばあちゃん」と呼ばれた人が、「私はアンタのおばあちゃんじゃありません!」というのと同じ発想なのであろうか。
5歳児にしては、高級複雑、きわめて洗練されたアタマの働きである。
「おませ」の一言では片付けられない大きな問題を含んでいるように思える。
かつて、5歳児が、このような発言をしたことがあるだろうか。
A子ちゃんの発言は、時代が大きく変わろうとしていることを示すものかもしれない。
日本語の「呼びかけ言葉」は、かなりいい加減である。
他国語のことは知りませんが。
二十年ほど前、外で初めて「ご主人!」と呼ばれたときは、ヘンな感じがした。
母が、要介護老人施設に入ったとき、入居者の老人から「おにいちゃん」と呼ばれたときは、いい感じがした。
中年女性が「お嬢さん」と呼ばれてカチンと来たという話を、聞いたこともある。
「呼びかけ」あるいは、「呼びかけられ」は難しい。
料理教室でいっしょになった男性のように、私が教室の先輩だというので「若草さん」と呼んでいたのに、私の方が年下だと知るや、手のひらを返したように「若草君」と呼ぶようになった人もいる。
「おねえちゃん」問題、真剣に考えなければならない。