演歌で録画してまで見ようと思うのは都はるみくらいです。
デビュー以来の付き合いです。
昭和39年『困るのことよ』でデビューした時私は受験生でした。
名曲です。
ちなみに、都はるみ三大名曲は『困るのことよ』『ばかっちょ出船』『はるみの三度笠』です。
都はるみのデビューに衝撃を受けたのは彼女が昭和23年生まれだったということです。
妹といっしょや!
妹が振袖姿もあでやかに顔をしかめてうなるところを想像できなかった。
すごい!と思って注目したんです。
注目してた私が再び衝撃を受けたのが昭和40年の大ヒット『涙の連絡船』です。
情けないことに昭和40年も私は受験生であった。
受験生はラジオを聞きながら勉強するのがふつうでした。
「洋楽ポップス」を聞いてたんですが、深夜放送で男性アナウンサー三人が歌謡曲を語るコーナーがあって、歌謡曲関連ではそれだけは聞いてました。
「歌謡曲をまじめに語る」という感じが斬新に思えたんです。
たとえば、舟木一夫の『高原のお嬢さん』を取り上げて、「まがぬけてる」と批評する。
歌詞に『♪リーフ』というのがあるんですが、それを「り~」「い~」「ふ~」と三つの音符で歌うのがいけない、アメリカンポップスなら一つの音符で歌うところだ、というような「批評」をする。
「歌謡曲を批評する」というのが新鮮に思えたんです。
そのコーナーで『涙の連絡船』を取り上げた。
辛口批評の三人が口をそろえてほめた。
「歌唱力が素晴らしい、都はるみもついに大人の歌手になった。」
そうか!この一年で大人の歌手になったのか!
私は相変わらずしがない受験生なのに。
よ~し!都はるみに負けずに・・と気合を入れていればもう少しましな人間になってたと思うけど、ただ劣等感を感じただけでした。
昭和23年生まれの都はるみは社会人になって金を稼いで大人の歌手になった。
それにくらべて、といじいじして以来ず~っと都はるみを気にしつつ今日に至る。
レコードの一枚も買ってないのに。
都はるみ第三の衝撃は昭和50年のヒット曲『北の宿から』です。
当時、ときどき文楽を見に行ってました。
人形浄瑠璃に興味があったわけではなく、「大阪観光協会」に勤めてた伯母がよく切符を送ってくれたんです。
演目が何だったか忘れましたが、男のもとに女から手紙が届く場面。
待ちわびていた手紙に喜んで男が読み始める。
竹本なんとか大夫、首を振り肩をふるわせての熱演です。
「ナニナニ、『あなたかわりはないですか。日ごと寒さがつのります』・・・」
文楽ってこんな笑いの取り方もするのかと感心しました。
『熱唱再び!』、よかったです。