「英語つづり方教室」という本を読んでます。
ややこしい話なのでいつにも増して激しく読み飛ばしてます。
昔々、今のイギリスに住んでた人は昔々の英語をしゃべってた。
ヨーロッパから来た人がそれを書き写そうとした。
書き写すのが仕事の人がいたんです。
「写字生」というらしい。
ヨーロッパから来た「写字生」にとって英語は聞きなれない不思議な響きのヘンなややこしい言葉だった。
不思議な発音なのでどう書けばいいのかわからない。
辞書を引けばいいと思うのは素人の浅はかさでそんなもんない。
字を書くのが商売の人にとって辞書がないのはつらかったと思う。
しかたなく各人工夫して書いたのでひとつの言葉が写字生によってちがうつづりになった。
「文部省選定」という決定版がなかったのでそれぞれ流通した。
写字生たちは単語がなるべく長いつづりになるように努力した。
写字生はなぜ長いつづりを好んだのか。
当時写字生の賃金は1インチ書いていくらというきまりだったので、長ったらしいつづりのほうがカネになったんです。
当時の画家の賃金が面積当たりいくらということもあったらしいから似てます。
つづりがばらばらというのも具合悪いと思うんですが、当時「正しいつづり」という考え自体がなかった。
文筆家たちはそれぞれ勝手に「ワシはこれで行く」「ふ~ん、そしたらワシはこっち」という感じで、「正しいつづり」に統一するのは大変だったみたいです。
統一なんかしなくていい!わかればそれでいい!という考えもある。
マーク・トウェインがそうだったみたいで、こんなことを言ってる。
「つづりは統一しなくていい。
みんないっしょというのはおもしろくない。
服でも制服はつまらないし、料理も出てくる皿みんな同じでは腹立つ。
それぞれちがうというのが楽しい。
私の知り合いに、手紙で自分の牛のことを書いてくるのに、いつも「cow」と書かずに「Kow」と書いてくる人がある。
「K」は大文字ではなく小文字にしなさいとアドバイスしたいような気もするし、いや、これでいいのだという気もする。
とても自由でのんきな感じでうれしくなる。
「Kow」・・・どんな牛やねん。
「Kow」というつづりをじっと見ていると、立派な堂々たる牛が、うすぼんやりと見えてくるような、そんなハッピーな気分に満たされるのである。」
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