明治10年日本を訪れたエドワード・モースはいろんなことに困惑してます。
まず、日本の男がふんどし一丁で仕事をする姿が印象的であった。
そして、女性が公衆の面前で赤ん坊におっぱいをやる姿が印象的であった。
これはいつごろまで見られたんでしょうか。
私が中学か高校のころ、近鉄電車の中でおっぱいをやる女性はいました。
当時人気の芸人西条凡児が「時事漫談」の中で「電車の中でおっぱいをやる女性がほほえましい」と言ってた。
昭和30年代中頃までは大阪の電車の中でそういう光景はあったんですね。
モースが日光に行った時のことを書いてます。
温泉へ行くけわしい山道を登ってたら若い女性の二人連れと会った。
助けてやろうと手を差し出したら、恥ずかしそうに微笑んで「けっこうです」というそぶりだった。
慎み深い娘たちだと好感を持った。
温泉に着いて浴場に行って驚いた。
道路に面していて丸見えである。
もっと驚いたことに男女混浴であった。
もっともっともっと驚いたことに「こんにちは」と言う声の方を見たら、さっきの娘たちがお湯の中からにっこり笑ってた。
モースは大変に困惑したようです。
日本では裸は恥ずかしくないようである。
アメリカでは裸は恥ずかしく不道徳、不作法である。
恥ずかしく不道徳、不作法のアメリカで女性は胸元の大きく開いた服を着たり水着で遊んだりしている。
おっぱいも入浴のハダカも平気な日本ではきっちり身体を隠してる。
モースの困惑は私たちの困惑でもあるし人類共通の困惑でしょうな。