エドワード・モースの日本滞在記は日本のことをほめちぎってくれてるので気持ちよく読めます。
ほめちぎると言っても明治10年代の話だからそう恐縮することはない。
気楽に気持ちよく読めます。
好奇心旺盛で何でも見てやろう何でもしてやろう何でも書いてやろう何でも描いてやろうでありとあらゆることがぎっしり詰まってます。
日本人が「西洋人の顔がみんな同じに見える」というので不思議がってます。
不思議がってから「しかし、私も日本人の顔がみんな同じに見える」と告白してます。
当時の日本人は必死で西洋のすべてを学ぼうとがんばってた。
あるとき西洋人音楽教師が日本人の5歳の男の子にピアノを弾かせた。
素晴らしかったそうです。
西洋人教師はその子のことを「日本のモーツアルト」と紹介したそうです。
その後どうなったか知りたいですね。
モースは日本のものなら何でも大好きだったけど音楽だけは好きになれなかった。
モースの同僚の日本人東大教授で何でもかんでも西洋がいいという人がいたんですが、その人は音楽だけは西洋はダメと言ってたそうです。
日本音楽はキライなモースですがなんでも体験だという精神で「謡曲」を習った。
謡曲の先生は同じ曲を歌うたびに半音上がったり下がったりすると言ってます。
かなり鋭い耳です。
日本の音楽にはメロディもなければ和音もないと言ってます。
日本の歌というのはイギリスのとんでもない田舎の農民がしゃべってるように聞こえるそうです。
日本の骨董にもほれ込んで日本中回って収集してます。
あるとき日本人の骨董自慢4人と「鑑定大会」をした。
各人が自慢の品々を持ち寄って「これは伊万里」とか「備前」とか当てようと言うんです。
なんと、モースがいちばん成績が良かった。
これでモースの日本びいきが決定的になったのだと思います。