若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ウクライナ

ウクライナがこれほど戦い続けるとは思いませんでした。

すぐ降伏すると思ってた。

「札付きの凶暴なヤクザに襲われた一般市民」というとらえかただったから。

で、これほどがんばるとはウクライナとロシアの関係はどうなってるのかと考えたら何も知らないことに気づいた。

で、ちょっと調べたら、ちょっとどころではわからないことに気づいた。

何も知らないままいいかげんなことは言えないと思いました。

 

ここまでがんばるウクライナ軍とはどういう軍隊なのか知らない。

ゼレンスキー大統領が直接指揮してるわけじゃない。

乃木将軍とか山本五十六みたいな人がいるのか。

 

ウクライナも一枚岩ではないと思うんです。

徹底抗戦派も早期和平派もいると思う。

ヨーロッパの戦争の歴史を読むとだいたいその二つに分かれて味方同士の争いがある。

非常にややこしくなる。

今は「攻め込まれて焼かれて殺された」という一点でまとまってるんでしょうか。

 

色々わかりにくい。

平和ボケしてるからわかりにくいのかもしれない。

元軍人で政治学者のアンドリュー・ベースビッチはアメリカは戦争ボケしてると言ってます。

どっちボケでもない状態ってあるんでしょうか。

 

「身捨つるほどの祖国はありや」という問いに、戦争ボケアメリカのベースビッチは「ない!」と言ってると思う。

平和ボケ日本の私は、「え?そ、祖国って・・・?」という感じです。

ウクライナの人には「ある!」という感じなのかもしれない。

 

『合衆国憲法修正条項の歴史』という本を読んでます。

「言論出版の自由」を保証する修正条項ができて数年後、大統領を批判したかどで懲役刑を受けた人がいるそうです。

第一次大戦のころもウイルソン大統領の政策を批判して懲役10年とか20年とかの刑に服した人もいる。

現在のアメリカは世界でも有数の言論出版の自由を保障された国だけど、そこに至るまでは長い戦いの歴史があったのだという本です。

現在あたり前になっている「言論出版の自由」という概念を確立する上で非常に力があったのが裁判官ルイス・ブランダイスで、彼の言葉を引用してある。

アメリカ建国のために戦った人々は、『幸福に欠かせないのは自由である』と信じていたし、『自由に欠かせないのは勇気である』と信じていた」

戦ったことのないものにはわかりにくいですが、ひょっとするとウクライナの人にはわかるかもしれない。

 

祖国とか自由とか、本を読んだくらいではダメで、命がけでないとわからないものかもしれない。