若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

病院

この何年か病院に行くことが多いです。

外出と言えば病院、というほどじゃないけどそれに近い。

もともと外出派じゃなかったから、まあこんなもんでしょう。

病院はいい、と思います。

まず緊張感がある。

だらけ切った私にとってはいい感じである。

患者は高齢者がほとんどだけど医師や看護婦さんは若い。

この年になると「みなさん非常に若い」といってもよろしい。

若者がてきぱきと動いてる。

いい感じである。

窓口の職員もてきぱき。

いかにもサービス業というのはあまりいい感じがしないけど、病院は適度なサービス業感覚があってこれもいい。

病院の空気はどちらかというと明るく感じます。

患者の気持ちは暗いかも知らんが病院の空気は暗くはない。

総合的に見て病院はいいところだと思います。

付き添いで行く分には。 

山口マリ先生

何気なくユーチューブを見てたら山口マリ先生の出演番組があったのでびっくりしました。

山口先生はヤマハ音楽教室でサックスを教えてた。

私がヤマハエレキギターを習いだしたのがちょうど30年前の5月。

奈良の三条通りの小さな楽器屋さんに教室があった。

生徒は高校生が多かった。

明るくてかわいい女の子、と思ってたらそれがサックスの山口先生と聞いてびっくりした。

音大を出たとこだったそうです。

 

次の年、初めて発表会に出ました。

その時サックス科の生徒として天理病院のA先生が出てたのでびっくりした。

父が肺がんの手術をしてもらった先生だったんです。

あいさつに行っていろいろ話してたら、「同僚のドクターがここでサックスを習いだしたんですが、先生がすごい美人だというので天理のドクターが何人も習いに来てるんです」とのことでした。

不純だけど自然と言えばいいのか自然だけど不純と言えばいいのかいずれにせよわかりやすい話である。

 

教室で顔を見かけるだけだったんですが、そのうち私が習ってるエレキギター科の新谷先生と山口先生が合同で発表会をするようになって時々ごいっしょするようになりました。

ある年の12月に発表会があって、終了後打ち上げの会場に山口先生の車で行くことになった。

先生は免許取り立てで車も来たばかりとのことでした。

他の先生たちが後部座席で私は助手席に乗った。

おじさんたちを乗せて山口先生は緊張してた。

ドラムの先生が「山口先生、よろしくおねがいしますよ」と言ったら先生は「いや~ん!私の運転でいいんですか~!?」と叫んだ。

走り出してしばらくしてキーボードの先生が「マリちゃん、暖房入れてよ」と言った。

ハンドルを握るのに精いっぱいで暖房まで気が回らなかったんですね。

冷たい風がぶわ~~~っと私に吹き付けた。

そのうちぬくもるだろうと思って冷風をこらえてたけどいつまでたってもぜんぜんぬくもらない。

冷たい風が激しく吹き付ける。

「先生、これ、冷房じゃないんですか」

「いや~~ん!」

こっちがいや~んですよ。

 

真っ赤な車だったのをおぼえてます。

今は愛車カマロでぶっ飛ばしてるそうです。

サックス奏者として活動しておられるようです。

ヤマハをやめて11年、なつかしかったです。

 

身捨つるほどの祖国はありや

マッチ擦るつかの間の海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

 

寺山修司の有名な歌で、うまい!と思うけど私にとって切実な歌ではありません。

ところがアメリカの政治学者アンドリュー・ベースビッチの『幻想の時代:アメリカは冷戦の勝利をいかに無駄にしたか』を読んでいてこの歌がぱっと頭に浮かびました。

ベースビッチがこの歌を知ったら感激すると思いました。

 

ベースビッチは1947年生まれ、陸軍士官学校出身、ベトナム戦争に従軍。

その後冷戦の最前線フルダ渓谷で軍務につき、冷戦終結湾岸戦争で大佐として指揮をとった。

多くを語ってませんがそのころ軍人であることに対する疑問が大きくなり1992年に退役、学問の道に転じたようです。

この本で歴代大統領を批判してますが、大統領のことを何度も「commander in chief」と書いてます。

「陸海空軍最高司令官」ということです。

軍人として絶対忠誠を誓い命を預けてきたんだという意識だと思います。

 

第2次大戦後、アメリカ合衆国は自由と民主主義を守るための戦いを続けてきた。

そのために命をかけてきた著者は、「自由と民主主義」とはいったい何なのか大統領をはじめ国民のだれも考えていないのではないかと思うようになった。

著者の考えに近い人の言葉を引用してます。

裁判官ルイス・ブランダイス。

「一握りの金持ちのいる国に民主主義はない」

大統領フランクリン・ルーズベルト

「食べるのに困っている人は自由ではない」

2016年の大統領選挙でヒラリー・クリントン民主党候補の座を争ったバーニー・サンダース

リンカーンの理想、人民の人民による人民のための政治はいまや終わりをむかえている。そのかわりに登場したのがオリガルヒ政治、億万長者の億万長者による億万長者のための政府だ」

今話題のロシアの新興財閥オリガルヒがロシアだけの問題じゃないと訴えてたんですね。

 

この本で著者は政治経済文化宗教、あらゆる面でアメリカを批判してる。

元軍人として軍の在り方にも疑問を感じてる。

アメリカは徴兵制ではなくなって志願兵制になっているが「志願制」と言えるのか。

大学卒でない若者が報酬や安定性の面でまともな職を目指すと軍隊くらいしかないではないか。

社会の指導層にいる人やスポーツ芸能の有名人で兵役志願する者はいない。

イギリスを見よ。

王子たちが兵役につき戦地に配属されてるではないか。

本には書いてませんがウイキペディアによると著者の息子も軍人でイラクで戦死してます。

 

「身捨つるほどの祖国はありや」はベースビッチの歌といってもおかしくないと思いました。

 

 

 

テ・キエロ・ディヒステ

ユーチューブを見てたらギターを弾いてる人がいた。

きれいな曲だなと思って聞いてたらラテンの名曲「テ・キエロ・ディヒステ」だそうです。

演奏は初めの方だけだったんですがゆっくりした曲で、「これなら楽譜を見たら弾けるんじゃないか」とつまらんことを考えてしまった。

なんでそんなことを考えてしまったのか後悔先に立たず。

楽譜が出てるか調べました。

楽譜って高いんです。

1曲のために3千円出す気はしないなあと思ってたら、便利な世の中、1曲ずつダウンロードできるサービスがありました。

「テ・キエロ・ディヒステ」は300円。

いいんじゃないでしょうか。

早速購入。

プリンターで印刷しました。

ヤマハのギター教室をやめてから楽譜を見るのは10年ぶりです。

・・・目がチカチカする。

始めの方に三つの音符をまとめて「3」と書いてあるのを見つけた。

「お!3連符!」

習ったことある!

楽譜の1ページ目は3連符の連続です。

う~ん・・・3連符って何だったか?

ちょっとややこしかったような・・・。

まあいいか。

とりあえず弾いてみよう。

楽譜の指示通りに指で押さえようとしたら、指が開かないというか届かないというか、ムリ。

そうだった。

ヤマハ時代、指を開く練習をかんかんになってしたなあと思いだした。

おさえる力を強化する道具も買ったなあと思いだした。

ヤマハをやめたのは、私が気楽にギターを楽しめる身分じゃないというか立場じゃないというか階級じゃないというか、まあそんなことを痛感したからだということを思い出した。

2か月間必死のパッチで練習して発表会が終わるとすぐ忘れるという繰り返しに疲れ果てた。

それを思い出した。

CDを買って聞いてるのがいい。

授業料300円。

いいんじゃないでしょうか。

 

 

 

今朝とつぜんパソコンのキーボードとマウスが反応しなくなった。

どちらも無線なんですが、コード付きの古いマウスだと使える。

「無線機能」(?)が悪くなったんだろうとNTTの電話サービスに連絡。

時々利用してますが、「リモートなんとか」と言って、向こうの人がウチのパソコンに入りこんで調べてくれる。

不思議である。

 

電話サービスは声が命です。

ルックス関係なし。

しかしルックス同様声にもいい悪いがある。

いや、好き嫌いがあると言った方がいいか。

私は女性の声がいい。

男だとがっかりする。

受話器を落とすほどがっかりする。

女性なら何でもいいというわけじゃない。

古い表現ですが玉を転がすような声がいい。

ボーリングの玉を転がすような声じゃないですよ。

母のような姉のようなやさしいあたたかみのある声がいい。

ばっかじゃなかろうかと笑わば笑え。

ウチの母はガラガラ声だったとか姉はキンキン声だとか祖母がセクシーなハスキーボイス「ニューヨークのため息ヘレン・メリル」(古!)みたいで気色悪かったとか、そういう話は置いときます。

あくまで私のイメージです。

 

で、NTTに電話しました。

最近は昔みたいに待たせませんね。

すぐにつながったんですが、出た女性は私の求める声じゃなかった。

べつにガラガラ声でもないしキンキン声でもなく素っ気なくもないしつっけんどんでもない。

ふつうと言えばふつうなんですけどマウスとキーボードが突然反応しなくなって途方に暮れてる私の心に寄り添りそうような声でもなければ話し方でもなかった。

むつかしい人やね。

いろいろやってくれたけどダメで「あとはメーカー様にご相談ください」ということになった。

 

で、メーカーに電話したら、自動音声で「コロナでどうたらこうたらでご迷惑をおかけいたしております」とか「電話よりチャットの方が早い」とか「電話相談は有料だけどチャットなら無料」とかごちゃごちゃ言うんです。

さんざんごちゃごちゃ聞かされてとちゅうでわけがわからなくなって一度切ってかけなおして同じごちゃごちゃをもう一度聞かされてやっと「では担当におつなぎします」となってほっとしたら「それでは数字十けたのお客様番号をご用意くださ」というのでイスから滑り落ちそうになった。

最初に言え!

そんなものあったかなとあわてて探したらありました。

で、もう一度ごちゃごちゃ!

 

やっと担当の女性が出た。

OK!

これこそ私の求める声!

状況を説明したら、母のような姉のようなやさしいあたたかみのある声でいつくしむように「それではパソコンの電源コンセントを一度抜いてさしなおしてください。いかがでしょうか」。

おお!

復活しましたがな!

 

これ、「メーカー様にご相談」とか「数字十けたのお客様番号」とかいうような話か!?

 

「いい声してはりますねえ」と言ったら「ありがとうございます」とやさしいあたたかみのある声でお返事がございました。

 

 

 

 

 

 

 

伝言板

朝日新聞朝刊。

「ケータイが普及する前、待ち合わせの連絡はどうしてましたか?」

 

記事の中で駅の「伝言板」が出てきた。

利用したことないけどなつかしい。

「定期券預かってます」というのが多かったように思いますが。

明治30年代に普及し始めて1990年代に徐々になくなっていったようです。

 

電話連絡というのはいつごろからでしょうか。

我が家に電話がついたのは私が高校の時です。

公衆電話も近所にはなかった。

中学時代、急に友達に連絡しなければならなくなって、近所の友人の家に電話を借りに行ったことがあります。

その友人の家も、電話はお隣さんと「共用」で、すぐには使えなかった。

「共用」ってどんなシステムだったのか?

 

電話がついたことで便利になったとかいう感じはなかった。

高校美術部の女性KさんとSさんが電話で1時間以上おしゃべりしてるという話を聞いた時はびっくりしました。

その時の二人の顔もおぼえてるくらいだからよほど衝撃だったんですね。

 

女性の長電話については社会人になってからもびっくりしたことがある。

ウチの会社のAさんの車に黒電話が積んであった。

聞くと、お母さんと娘さんの長距離長電話に困り果てて出勤時に受話器を外して車に積んでるというんです。

おかあさんは長崎の親せき、娘さんは東京の友達。

電話代がとんでもない額になると怒ってました。

 

コードレスの電話ができたのは40年ほど前ですか。

細かいことは忘れましたが、当時のご近所の奥さんが「これを使いなさい」とコードレスの受話器を持ってきてくれたことがあるんです。

「これは便利だ!」と感激しました。

 

ケータイの登場にはもっと感激した。

普及しだしたころ、ヤマハ音楽教室の若者たちと「合歓の郷」に行ったんです。

広大なリゾートをバラバラに移動中、彼らがケータイで連絡を取り合うのを見て「すばらしい!夢みたい!」と思いました。

感激したのにいまだに持ってないというのも不思議ですが。

 

 

 

 

 

スタート!

「新年度」ということをウチに来たあきらくんが気づかせてくれた。

3年生になりました。

で、4月なんだ、と思った。

わかってますよ。

4月ということはわかってるけど新年度とは思わなかった。

もう4月か、と思ってた。

もうすぐ一年の半分だ、早!と思ってた。

アメリカの政治学者アンドリュー・ベースビッチの本にも「年を取ると砂時計の落ちるのが早く感じる」と書いてあった。

1947年生まれのベースビッチは「ひょっとすると砂時計の穴が太くなったんじゃないか」と首をひねってます。

 

さて3年生のあきらくん、担任の先生が新卒の女性だそうです。

あきらくんによれば「先生は人気になると思う」とのことです。

なんだか「担任評論家」みたいなクールなご意見です。

6年生ゆうちゃんのクラスでは担任の先生を見て「ジャニーズ系や!」と歓声が上がったそうです。

どんな先生かママが楽しみにしてます。

 

神戸のはなちゃんとことちゃんはコロナでなかなか顔を見ることができないのがさびしいですがそれぞれの新年度をむかえたようです。

 

真打登場!

幼稚園年長組になったみいちゃんから電話。

「おじいちゃ~~~ん!!!」という第一声からいつも以上の大大大迫力。

ぶわ~っとしゃべりまくるんですが、一声一声に「最上級生!」の歓喜、誇り、自覚、責任感が丸出しのむき出しのこれ見よがしにほとばしり出て切れ目なくとどまることを知らず息つく間もなく合いの手を入れる間もなく幼稚園の通園バスの話から突如パン屋さんであんパンを買う話になったと思うとまたも園バスに逆戻りしたかと思うと今度はメロンパン、一方的にしゃべりまくって「じゃ、しょうちゃんとかわるねっ!」と言ってしょうちゃんとかわった。

しょうちゃんに「3年生やね!」と言ったら「うん」、「担任の先生は何先生?」「〇〇先生。じゃあね」と言って電話を切った。

妹の毒気じゃなかった迫力に圧倒されてたんだと思います。