風邪の季節です。
20年ほど前のことを思い出しました。風邪で熱を出した私は、久しぶりで近所の××医院へ行きました。××先生は、私の小学校の校医さんでした。
××医院は、戦後すぐに建ったままの姿で、風雪に耐えて建っていました。戸を開けると、懐かしい「チリンチリン」という音がしました。
狭い土間で靴を脱いで上がると、畳三畳ほどの待合室。この畳がまた、昭和二十年代以来敷きっぱなしに違いないという擦り切れ方でした。
昭和20年代にできた病院の窓口というのは、今みたいにオープンではありません。壁、またはすりガラスで待合室と隔てられています。そして、窓口、というほどのものはなくて、かなり低い位置に、小さな、薬受け渡し用の空間が開いているだけです。
静まり返った待合室で、私は、薬受け渡し口に近づき、擦り切れた畳にひざまづき、神父さんに懺悔するカトリック教徒のような姿勢で、首を90度横に曲げ、薬受け渡し口から声をかけた。
「はーい」
薬受け渡し口から、首を90度横に曲げて現れたのは、先生の奥さんであった。
「あらー!若草さん!お久しぶり!お元気ですか?」
「い、いや、元気じゃないから来たのですが・・・」
「ウチ、ボロボロでしょう?」
唐突な問であった。
「ほんとにボロボロですね」というのが、誠実な答ではあろう。しかし、私は答に窮した。
答えに窮した私を尻目に、奥さんは話し続けた。
「主人が構わん人でねー、ほったらかしのボロボロで。こんなボロ家に、何億もの財産があるなんて、思いませんよねー」
意表をつく問であった。私は、再び答に窮した。
再び答に窮した私を尻目に、奥さんは続けた。
「このオウチはね、古い家柄なんですよ。もともとはね、福井の出なんです。福井の出なんですけどね、戦争でお屋敷が焼けまして、こちらへ出てきたんです」
やっと、私にも受け答えのできる展開になった。
「はー、福井も空襲があったんですか?」
「おーほっほっほっほっほっほっほっ!おーほっほっほっほっほ!」
私は、擦り切れた畳にしりもちをついた。
強烈な高笑い!その不自然な、前かがみの、首を90度横に曲げた姿勢で、これだけの高笑いができるとは!相当な腹筋の強さである。
「戦争ってね、あの、オーニンノラン!オーニンノラン!」
むむ?オーニンノラン???
つづく