小学校の4年3組の時の担任高橋先生は竹刀を持っていた。
いつも持っていたかどうかは忘れたが、その日は持っていたと断言できる。私が頭をたたかれたのだから。
なぜたたかれたかは忘れたが、私にとって、納得の一撃であったことは確かです。
丸いメガネをかけた、ひげの濃い先生であった。恐い先生だったけど、私たちは先生が好きでした。
先生の授業で今も覚えているのは一つだけ。
「アホよりアホなのを『白痴』と言います。『白痴』よりアホなのを『モーロン』と言います」
流行りましたねー。「アホ、白痴、モーロン」、4年3組男子の間で大流行しました。
高橋先生は、二学期から学校へ来なくなった。結核だということでした。
代わりに担任になった的場先生は、「インテリ」という雰囲気であった。「美化係」とか「保健係」とかを作られた。私は、本に出てくる先生みたいや、と感動した。
「学級壁新聞」を作るように言われた。またも私は、本に出てくる先生みたいや、と感激した。
私は、当時「野球少年」という雑誌を愛読していた。そこに、「正しい滑り込みの仕方」というのが出ていた。
私は、体操の時間、ソフトボールをした時、早速「正しい滑り込み」を試してみた。私の滑り込みを見た的場先生は、即座に、「今のが正しい滑り込みです」と言われた。私は驚いた。先生も「野球少年」を読んでいるのか!
冬休みに入った時、私は、友達二人と高橋先生をお見舞いに行った。
私たちは、画用紙にクリスマスケーキを描いて持って行った。当時の私たちの財力と知力では、その程度が限界であった。
先生は、奥さんと二人、学校からそれほど遠くない民家の二階で、間借り生活をされていた。
二階には二間あった。二階に上がった時、「本がたくさんある」と思った。
私の記憶にある映像。
先生が、広い方の部屋で、黄色い電球の下、どてらを着て布団の上にあぐらを組んで座っている。無精ひげを生やした先生は、憮然とした表情である。前には、私たち三人が、かしこまって座っている。
隣の部屋では、先生の奥さんが横座りになって、畳に目を落としている。
先生は喜んでくれていないように思った。子供心に、重苦しい、気まずい雰囲気を感じた。
それから程なく、高橋先生は亡くなられたらしい。