若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

人は死ぬ

S君が死んだ。
ヤマハで、ギターを持って歌っていた若者である。
26、7だったと思う。最近はレッスンに来なくなったが、一時は、発表会などで、よく彼の伴奏をした。ヘタなギターで申し訳なかった。

三年ほど前、S君たち何人かと飲んでいた。

N君「S君はいくつ?」
S君「23です」
N君「若いなー。おれとちょうど10違いやな」
M君「ボクとはちょうど20違いか」
私「ぼくとはちょうど30違い」
S君「え!鹿之助さんはいったいいくつなんですか?」
私「ちょうど30違いて言うとるやろ!」

自分より若い人が亡くなるのは、さびしいとか悲しいと言うより、いや〜な感じがする。

二、三年前、ひろちゃんが亡くなったことを聞いたときは、本当にいやな感じがした。
ひろちゃんは、私の幼馴染であった。一つ下で、小学生の頃までは良く遊んだ。その後はほとんど付き合いはなかった。
私たちがこちらへ引っ越して十数年の間は、ひろちゃんのことを思い出すこともなかった。
その間に、ひろちゃんのお父さん、お母さん、奥さんがなくなったという。
そして、ひろちゃんが亡くなった。

二十年ほど前、ヒロちゃんとぱったり会った事がある。
本当に久々に顔をあわせた。
その時ひろちゃんは、驚いたことに、久しぶりに会った私に、彼の会社でのことを細々と話したのであった。
中堅の営業マンとして苦労していること、後輩の指導もしなければならず、自分の成績ばかり考えているわけにはいかないこと、そのあたりは課長もわかってくれているだろうと言うことなどを、熱烈に語った。
不思議であった。

ひろちゃんより先にお母さんが亡くなったと聞いて、私は、ほっとするような、悲しいような、複雑な感情に見舞われた。
昔、母が買い物から戻って、こんな話をしたのを思い出したから。

「ひろちゃんのお母さんに会ったけど、びっくりしたわ〜。ひろちゃんが東京勤務になったのがさびしい言うて、泣き出しはったんよ。わたしは、あんたが大学で下宿した時も、さびしいなんて思たことないね〜。私はよっぽど冷淡なんやろか」

幼稚園の頃、ひろちゃんの家に遊びに行った。
お母さんが、梅酒に漬けてあった梅をおやつに出してくれた。
初めて味わう不思議なおいしさであった。

思い出してもよだれが出る。
私の脳みそに聞きたい。
私はよほどいやしんぼなのか。