若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

本の広告

朝日新聞社刊「イラク戦争従軍記」の宣伝文句。

「従軍記者だけが感じた生の興奮と恐怖」
「興奮」とは何事か。「不謹慎」とはこういう時のためにある言葉である。

「全国紙で唯一アメリカ軍地上部隊に従軍」
いばってるのか?他の「全国紙」はどうしたのか?朝日新聞が抽選に当たったのか?

先日買った本の帯の宣伝文句はうまかった。
大和朝廷の成立に関する本で、帯に「日本人はなぜ大和朝廷の支配を受け入れたのか」と書いてあった。
知りたい!と思って買った。
しかし、著者は、前書きで、「日本人がなぜ大和朝廷の支配を受け入れたのかは難しい問題である」と書いているだけであった。
だまされたみたいなものであった。

「蛙はなぜ池に飛び込んだか」という本を見つけたとき、私は飛びついた。
著者は韓国人である。さすがに斬新な発想ではないか。
「古池や蛙飛び込む水の音」は、日本人なら誰もが知っているが、なぜ飛び込んだのかなどと考えた人はないのではないか。

池にやって来た芭蕉の足音に驚いて飛び込んだ、というのでは面白くない。

弟子の其角とともに池のほとりに立った芭蕉は、腕組みをして「う〜む」とうなった。
スランプなのであった。このあたりで一句ほしい。

蛙は芭蕉を見つめた。
「む、この男、できる!並みの俳句作者ではないと見た。おれのジャンプをどう詠むか?お手並み拝見!アチョー!」
こう叫んで蛙は水に飛び込んだのではないか。

この本には、蛙が水に飛び込んだ理由は書かれていなかった。
後書きによると、この本は、「俳句から見た日本文化論」という題であった。それを、再発売する時に題だけ変えたのである。
だまされたみたいなものである。

「古池や」は名句なのか。
誰しも抱く疑問である。
正岡子規は、歴史的に見れば名句である、と言っている。
子規は、芭蕉以前に蛙を詠んだ句を何十も紹介している。
そのほとんどが、蛙が両手をついて平伏した人間に似ていることを扱っている。
水に飛び込む蛙を発見したことが、芭蕉の新しさである。
実に革新的な一句なのである。

「古池や」の句を得て、芭蕉はうれしさのあまり池に飛び込んだ。
これを見た弟子の其角が詠んだのが有名な
「古池や芭蕉飛び込む水の音」

名句である。
新境地を切り開いた喜びと誇りを胸に、イアン・ソープのごとく颯爽と泳ぐ芭蕉の姿が目に浮かぶではないか。