母のいる施設で。
来月の五日が九十四歳の誕生日の吉田さんに、スタッフの女性が筆を渡して名前を書いてもらっていた。
なかなかしっかりした筆さばきだと感心していたが、何かおかしい。
見ると「吉田」の「吉」の字の下の部分である「口」が「田」になってる。
「吉」と「田」が合体したような字である。
これはこれで「あり!」、という感じもした。
便利そうである。広まるのではないか。
この新字体の著作権者はこの方ですよ。
これはこれでいい、と思うことは時々ある。
いつだったか、静かな室内に、「シャリシャリシャリ」と小気味良い音が響くので、何かなと思って音の方を見ると、Yさんが花瓶のスイトピーの花を食べていたのである。
一瞬、ギクッとしたが、これはこれでいいと思った。
おしゃれな感じさえした。
スイトピーがおいしいかどうかは知りません。
吉田さんは、夕方になると、しきりに家に帰りたがる。
若い女性のスタッフが
「今日は泊まってください」
「それなら家に電話せんと」
「私がしましたよ。おばあちゃん、今夜こちらに泊まりますって」
「そしたらなんて言うてました?」
「娘さんがね、おばあちゃんいないと静かでいいって」
吉田さんは、アハハと笑ってスタッフをたたくまねをした。
「ほんとですよ。おばあちゃんがいなとうるさくなくっていいって」
吉田さんはまたアハハと笑って、スタッフをたたくまねをして
「そんなこと言うわけない」
と笑いながら言った。
さぞかし楽しく暮らしておられたのだろうと思った。