若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

中国人民銀行総裁

新聞の中国関連の記事。

国家行政学院教授、杜鋼建氏。
なんとも頼りになりそうな名前ではないか。
中国の屋台骨を支えるにふさわしい名前である。

名前には、こういう「丈夫で長持ち系」と、「おめでた系」がある。
「おめでた系」の名前としては、温家宝首相、呂福源商務相などが有名である。

中国人民銀行というと、日本銀行のようなものであるが、その中国人民銀行総裁の名前が、周小川氏という。
これには首をひねらざるを得ない。

待望の息子が生まれて、つけた名前が「小川」とは?

「丈夫で長持ち系」でもなく「おめでた系」でもない。
字典で調べても、「小」にも「川」にも特別の隠された意味はない。

せめて、「中国人民銀行総裁、周大河」なら納得できるのであるが。
すみやかに改名して中国経済に対する信頼の回復を計っていただきたい。

しかし、なぜ「小川」という名前がついたのか?
若草鹿之助商店中国人名事業部に問い合わせてみた。

1944年夏。
日中戦争は泥沼化し、中国共産党八路軍による激しいゲリラ戦が続く山西省の寒村に、周某という貧農がいた。
当時、中国の農村地域の乳幼児死亡率はきわめて高く、この夫婦も四人の子供を次々に亡くし、五番目に生まれた子供を「建永」と名づけて、貧しさと闘い懸命に育てていた。

しかし、栄養事情、衛生事情とも最悪の中、一歳になった頃、建永は激しい下痢に襲われ、見る見る衰弱して行った。
夫婦が頼れるのは村の祈祷師だけであった。

やせ衰えていく息子を見ながら、夫婦はどちらからともなく、「日本軍の駐屯所に連れて行こう」と言い出した。
村から五里ほどの所に、日本軍が駐屯していたのである。

村人たちは、日本軍を「東洋鬼」として恐れていたが、息子の命を救いたい一心の夫婦は、必死の思いで息子を荷車に乗せて、日本軍駐屯地に向かった。

夫婦の思いが通じ、歩哨は軍医に取り次いでくれた。
軍医は、懸命の治療を施したばかりか、回復するまで滞在してよいとまで言ってくれた。

三日後、元気になった息子を連れて村に帰った夫婦は、スイカを二個かついで軍医に自分たちの感謝の気持ちを伝えた。
笑ってスイカを受け取る軍医に、せめて御名前をと頼んだ。

軍医は、陸軍中尉小川真一郎と名乗った。

命の恩人の名を忘れぬよう、夫婦は息子の名前を「小川」と変えたということである。