若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

小指の思い出

朝の駅で久しぶりに県会議員のAさんが演説していた。
出勤時の駅前での演説だから聞く人などいない。
ただ名前を知ってもらいたい、存在を知ってもらえればいいということだ。

それはよいのであるが、もう少しうまくやってもらいたい。
あまりにも「適当に時間つなぎにしゃべってます」ということがわかりすぎる。

Aさんのパターンは決まっている。
「政治問題10秒+世間話10秒」
れがまぜこぜに脈絡なく途切れなく続く。
道路公団奈良盆地特有の冷え込み」
「郵政改革+朝青龍優勝」

今朝は、「県の財政再建問題に取り組んでおるところでございますが、今朝のワールドカップ決勝の結果なども含め、皆様方にお訴えいたしたいと・・・」

昨日は伯父の四十九日の法要があった。
初めて「鳳の人」に会った。
「堺の鳳」というと与謝野晶子だが、私にとっては「鳳のおじさんおばさん」だ。母の父が出た家で、母は「鳳のおじさんおばさん」に大変恩義を感じていた。

子供の頃何度か行ったことがあるが、「広大な家」だと思った。
しかし、子供の記憶は当てにならない。伯父の葬式のとき、「鳳の家」を知っている人がいたので聞いたら、「さあ、千坪くらいやないですか」とのことで、やはり広大だったのだと思った。

その「鳳の人」である。
実際どれくらいなのか聞いたら、二千坪だそうだ。

母から聞いた話では、明治の初めに「鳳のおじいさん」が妻と幼い息子二人(一人が母の父)を置いて、一旗上げると北海道に渡ったきり行方不明ということだった。

昨日の「鳳の人」の話では少しちがった。
事業に失敗したあげく女中を連れて家を出たと言うのだ。それって「駆け落ち」ではないのか?私の曽祖父は駆け落ちしたのか。

どんな事業に失敗したのか。
中国で養蚕業を始めようとカイコの卵を中国へ送ったら、途中で卵が蛾になって失敗した。

ほんまかいな。

その失敗にもめげず、中国で石鹸を売ろうと船で送ったら、夏の暑さで石鹸が溶けて失敗した。

ほんまかいな。

さて、「小指の思い出」であるが、あなたがかんだ小指が痛いというような色っぽい話ではない。
「鳳の人」の小指のつめが大変長いのに気づいたのだ。
70代半ばの男性である。
最近見なくなったが、昔は小指のつめを長くしたおじさんがいたものだ。

小指のつめについては聞けなかった。