明日は発表会である。
エレキギターを習いはじめて11年。
ステージに立つとあがるのはなぜか?
あがらない方法は無いのか?
その答えを求めて、カリフォルニア大学の教授が書いた本を読んだことがある。
その教授は、スポーツ選手が本番であがって本来の力を発揮できないことを科学的に解明しようと研究されているのである。
私の読書法の特徴は、その本の肝心なことは忘れて、どうでもよいことを覚えているという事である。
この本を読んだ時も、その特徴を遺憾なく発揮して、あがるということについての、運動生理学的研究成果については全く覚えていない。
教授が提案する、あがることに対する防止策は、成功イメージを描いてくり返し練習するという、ありきたりのものであったと思う。
この本には、「付録」がついていた。
この手の本に「付録」は珍しい。
この「付録」の方を私は良く覚えている。
それは、教授の体験談なのであった。
教授は、カリフォルニア大学のピアノの教授について、ピアノを習いはじめたのである。
そして、最初の発表会での体験が、「付録」であった。
教授は、学問的、専門的に十二分の準備をして本番に臨んだ。
教授は、この自分の最初の発表会こそ、「あがる」ということについての、これまでの長年の研究成果を試す絶好の機会であると考えた。
観客である同僚達もそのように考えているはずであった。
いよいよ発表会の当日である。
ピアノの前に座った瞬間から、教授は何が何だかわからなくなった。
弾きはじめるとますますわけがわからなくなった。
自分が何をしているのかわけがわからないままに、なんとなく曲は終わってしまったのであった。
もうろうとしてステージを降りる教授を、同僚達がニヤニヤ笑いながら見ていたそうである。
この「付録」を読んだ時、「本編」はいらないと思った。
私は何を言いたいのか。
明日もあがるであろうということを言いたいのかな?