若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

身元確認

きのう、母が入っている施設の夏祭りで、私に出演依頼がなかったのは、去年の、サングラスと周富徳風衣裳がまずかったのだと思っていたが、今年はカラオケ大会がなかったのであった。

たぶん、歌を歌える人が少なくなったからだろう。

何年か前までは、しょっちゅう歌声が聞こえた。
介護の職員さんが皆さんを集めて、小学唱歌などを歌っていた。
古い歌であるから、リードできるのはかなりの年輩の職員さんである。
こういう施設で働く人は、小学唱歌とか軍歌を覚えておかないといけない。
介護士の専門学校などでは必修科目にしないといけませんよ。

私もここで古い歌を色々覚えた。
水師営」とか、「大楠公」とか、「広瀬中尉(?位は不明)」とか。

ある日、私は皆さんと一緒に「水師営」を歌っていた。
「♪敵の将軍ステッセル 乃木将軍との会見は 所はいずこ水師営

聞いていた二十歳くらいの若い女性スタッフが感心したように私に
「よくご存知ですねー」
「まあ、乃木将軍はぼくらの世代のアイドルやからね」
「あ、そうですよねー」
ちがうって!

川柳に
鉄道唱歌 全部歌えて ボケている」
というのがあるが、歌というのは、脳のかなり奥の方に入っているようである。

70才くらいの女性Aさんのレパートリーはすごい。
唱歌、歌謡曲、スタンダードジャズ。
これを次々と歌いながら、施設内を歩き回っておられた。
「人間ジュークボックス」という感じであった。

先日骨折されてから、歩くことはもちろん、歌うこともなくなってしまった。

昨日の夏祭りに、3月18日の日記で書いたMさんの息子さんが来ておられた。
Mさんは、はじめて会った時から私の事を大変に懐かしがって、私を「湯川さんのおあととり」と言った方である。

私は、一度自分の身元を確認したいと思っていた。
それで、Mさんの息子さんを見つけると、早速話を聞きに行った。

息子さんの話では、確かに、近所に「湯川さん」という家があった。
その家には、息子さんより三歳くらい年上の男の子がいたということであった。

感激した。
Mさんの思い出は間違ってはいなかった。
私は「湯川さんのおあととり」であった。

私は、「その人は私に似てますか?」と聞いてみた。
「え・・そういえば、なんとなく・・」

歯切れが悪い。
直接会うしかないな。