若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

いつ亡くなってもおかしくはないが

きのう、母が入っている施設に行った。

ここでは「80歳」といえばまだ若い感じがする。
だから、どなたがいつ亡くなられてもおかしくはない。

私は2月に入ってインフルエンザになって、なかなか治りきらなかったので、きのうが1月末以来の訪問であった。
その間に、なんと三人の方が亡くなっていた。

Wさんはこの施設の最初の入居者という女性だ。
十年をこの施設で過ごされたことになる。
以前、まだ皆さんが歌を歌えた頃、Wさんはいつも両手で「指揮」をする格好をされた。
そのリズムの取り方が実に精密で、細かく手を震わせ、「写実的」なのであった。
いつも恐そうな表情で無口だったので、私はあまり近づいたことがなかった。

Kさんは陽気そうな顔の男性だった。
このところ寝たきりに近いようだったが、以前はよく施設内を這いまわっておられた。
壁を支えに立って、壁伝いにそろそろと移動されることもあった。
力尽きると、そのまま崩れ落ちる。
初め私は驚いて助けに行ったものだが、そのうちKさんは、不本意に、事故的に崩れ落ちているのではなく、上手に直立歩行から四つんばいに転換されていることがわかったので、安心して見ていられるようになった。

以前、Kさんが床を這いまわっていると、私の仲良しのMさんが
「おっちゃん、ほうたらあかん。立ち!立って歩き」
とよく声をかけた。

そのころ、Mさんは結構話が通じる状態だった。
それでも、床を這っているKさんを見ても、「おかしい」とは思わないようだった。
あきらかに「おかしい人」をみても、「おかしい」と思わないのは、楽しいことだ。

Nさんは、一年程前に入居されたお坊さんだった方だ。
92歳ということだったが、話の通じるほうなので、お近づきになりたいと思っていた矢先であった。

Nさんと話して印象に残っていることがある。
あちこち旅行されましたかと聞いたら、インドにも行ったことあると言われた。
「じゃあ、釈迦の生まれたところにも行かれましたか?あれは、えーっと、どこでしたか・・・」
「私は、そういう学問的の事は、あまりよく知りません」

好感の持てる答え方だった。
誠実な方、という感じがした。

亡くなられた皆さんとは、お付き合いといえるほどのものはなかったが、なんとなくさびしいものだ。