若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

告別

母のいる施設に行った。
Mさんが25日に亡くなっていた。
享年96才。

母がこの要介護老人施設に入って十年になる。
はじめの三、四年は母と会話らしきものができた。

母と会話らしきものができなくなってからは、入居者の「みほさん」が私の主な話相手になった。
みほさんは、私のことを昔近所にいた「湯川さんのおあととり」と思っておられた。
この方と会話らしきものが成り立たなくなったころ、それまで階が違ったMさんが母と同じ階になって、私の「友達」になった。

Mさんは、非常にしっかりした頭のいい方で、介護の必要はほとんどないと思えた。
しかし、母と暮した経験上、こういう人が周囲の人間にとって一番困るということがわかる。

「非常にしっかりして頭が良いのだけれど、ちょっとだけ、しかしはっきりとずれてる人」

どこにでもいそうだ。
年齢にも関係なさそうだが、歳と共に危険度は増す。
私もそうかも知れんし、あなたもそうかも知れない。

Mさんは、たまに、「金を盗まれた」と訴える事があったようだが、週一度ほど訪問するだけの私にとっては、百点満点の話し相手であった。
会うのが楽しみと言えた。

Mさんの頭の回転のよさ、ボケとつっこみについていくのは職員さんたちにも大変だったと思う。
私も、Mさんとの会話には結構緊張して身構えた。
90を過ぎたボケ老人と張り合ってどうする?と思うのは浅はかである。
そんな人は負けますよ。
職員で言い負かされてる人はいくらもいた。

顔のつやもよく、百歳は大丈夫と思っていたが、仲良しの「狂瀾怒涛の昭和」が口ぐせだったHさんが亡くなってから衰えが目立ち始めた。

この二年ほどは、さびしい状態だった。
それまでは、私が帰る時あいさつすると、「にいちゃん、また来てや」と言ってくれた。
握手して別れた。

衰えが激しくなった頃だ。
突然泣き出して、「にいちゃん、はよいんで(早く帰れ)」と言った。
「情けない!情けない!はよいんで!」
自分の衰えに一瞬気づいた、という感じだった。

最近は食事もとれず、酸素吸入をしたりで、もう限界だと思えた。
おつかれさまでした。
ご苦労様でした。