若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

紙芝居

私の子供時代、紙芝居はなくてはならぬ娯楽であった。

伝説の「黄金バット」はほとんど覚えていないが、ただ、「エヘラエヘラ」という笑い声が、なんとも不気味で恐ろしかったことだけが記憶にある。

「ああ無情」の絵が強く印象に残っている。
劇画調の絵だったのだろうが、子供にとっては、レンブラントかベラスケスかという迫力だったのである。

うちの近所には、何人もの紙芝居のおじさんが来た。
「こーちゃん」以外は、いつの間にか来なくなって、また新しい人が来るという感じだった。
「こーちゃん」はかなりの年で、非常に誠実な人だという印象であった。

紙芝居のおじさんは、自転車を置くと、近所を拍子木をたたいて知らせて回る。
私たちは、その拍子木をたたいて回りたくて仕方なかった。
他のおじさんは頼むとたたかせてくれた。
しかし、「こーちゃん」は、「児童福祉法という法律があって、子供に拍子木をたたかせることは禁止されている」と言って、させてくれなかった。

私は感動した。

紙芝居を見るには、五円払ってお菓子を買う。
買わないで見るのを「タダ見」と言った。
他のおじさんと違って、「こーちゃん」は「タダ見」でも良いと言った。

ある時、私たちは「こーちゃん」に言われて、彼を家に案内した。
何をするのかと思ったら、「こーちゃん」は母に売り物の「酢昆布」を渡した。
後で母に聞いたら、そのころ紙芝居のお菓子で食中毒事件があったので、安全性をPRしたらしい。

「こーちゃん」は読むのがうまかった。
他のおじさんは、絵の裏の文章を見て読んでいたが、「こーちゃん」は、大体暗記していた。

毎週休まず来ていたが、年に一度休んだ。
「東京の紙芝居コンクールに出る」というのであった。
結果については聞いたことがない。
本当にそういうコンクールがあったのだろうか?

紙芝居は、小学生のものであった。
あれだけ熱中した私も、中学生になると全く見なくなった。
中学生になってから、時々、「こーちゃん」と道で会うと、なんだか恥ずかしいような、後ろめたいような気がした。

テレビが普及して、紙芝居はすたれつつあった。
ある日、「こーちゃん」と道ですれ違った。
「こーちゃん」は、私に笑いかけながら、卑猥な歌を歌って自転車を押して行った。

文学的に言えば、そのとき、私の子供時代が終わったのである。