朝刊で、吉野の村で、伝統的な念仏盆踊りを保存しようとがんばっている人たちが紹介されていた。
お経か、ご詠歌みたいなのを歌いながら静かに踊る盆踊りを見たことがある。
二十年近く前、娘たちが長野の山奥の過疎の村にキャンプに行った。
行きは連れて行ってもらって、お盆に私がむかえに行った。
私は、東名高速のバスで行った。
村からタクシーが迎えに行くから、バスの駅で降りて待っていてくれということであった。
「東名高速のバスの駅」というので、売店やトイレなどのある「駅」を想像していた。
ところが、その「駅」は、東名高速の道端に標識が一本立っているだけなのであった。
降りたのは私一人であった。
バスを降りた私は途方にくれてしまった。
周囲には何もなく、ただ車が猛スピードで走りすぎていく。
迎えに来るとは、どこから来るのであろうか。
と、ガードレールの後ろの藪から、「大阪のお客さんかね?」という声がした。
驚いて振り向くと、藪の中にタクシーが止まっていた。
タクシーで一時間以上走って村に着いた。
人口八百人、高齢化率全国三位という村であった。
この村には、完成当時は立派だったであろうと思われる体育館が二つと文化会館(?)が一つあった。
どちらも廃墟のようであった。
政治家が、「持ってきた」のであろう。
村も、必要ないけど「タダ」なので、もらったのであろう。
この村の盆踊りが、古式ゆかしきものだったのである。
大阪の盆踊りとは全く違っていたの。
もちろんエレキギターなんてものはない。
静かにご詠歌のようなものが歌われ、村人は静かに踊るというかなんというか、まあ、静かに動いていた。
非常に退屈なものであると思ったが、自分たちが、楽しんだり、観客を楽しませるためにやっているのではないから、しかたがない。
こういうものを「保存」するのは難しいと思う。