一世を風靡したせりふから、その時代を描こうという本である。
昭和元年は、「何が彼女をさうさせたか」
これは、悲惨な女性の一生を描いた劇のタイトルで、私の伯母も日記の中で時々使っている。
昭和26年は、「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」
朝鮮戦争の時、連合軍最高司令官を解任されたマッカーサーの言葉。
朝鮮戦争の特需で日本経済は急速に立ち直った。
昭和21年生まれの私は、朝鮮戦争を知らない。
割合最近になって、「あ!あれが朝鮮戦争だったのか」と思ったことがある。
私が子供のころ、近所に空き地があった。
子供が野球するのにちょうど良い広さであった。
大体が平地なのであるが、ダンプカーが土を捨てにくることがあって、いつの間にか小山のようになってしまう時期もあった。
かと思うと、ダンプカーが土を積み込んで行く時期もあって、小山は平地になり、平地は窪地になって、雨が降ると池になったこともあった。
私たちは、ダンプカーの運転手を鬼のように恐れていた。
ダンプカーが見えると飛んで逃げた。
そこが小山のようになっていたある時、小学校高学年のまーちゃんと、はじめちゃんが、私たちチビに、小山の中から釘やネジを見つけて持って来いと命令した。
私たちは大喜びで探した。
釘やネジの工場の廃土であったのか、土の中にけっこう釘やネジがあった。
私たちが集めた釘やネジを持って、二人はどこかへ行った。
しばらくして帰ってきた二人は、私たちに飴をくれた。
釘やネジと飴がどういう関係があるのか不思議であった。
年末のある日、二人はまた私たちに釘とネジを集めろと言った。
また私たちは大喜びで集めた。
釘とネジを持った二人はどこかへ行った。
帰ってきた二人を見て私たちはたまげた。
五十円はするのではないかと思える大きな凧を持っていたのだ。
信じられないような高価なぜいたく品である。
釘やネジと凧がどういう関係があるのか不思議であった。
二人は巨大凧をあげると、私たちにも糸を引かせてくれた。
空高く上がった巨大な凧が今もはっきり見える。
あれが朝鮮戦争だったのである。
子供が拾い集めた釘やネジで巨大凧が買えたのだから、日本はしこたまもうけたであろう。