ず〜っと名前だけ知ってましたが、新潮文庫を買って読みました。
この作品については、出版当時、作者がだいたい次のように説明してます。
「私は今回の戦争に兵士として従軍した。この体験を文学として言葉で表現できるようになるには相当の日時が必要だと思う。今は戦争について書きたくないが、自分が直接経験したことを記録として残しておきたい」
非常に力のこもった記録で、「小説家」というより、「戦場カメラマン」という感じです。
『土と兵隊』は、弟に送る日記という体裁です。
書き出しは、「弟へ。十月二十日。太平丸にて。その後みんな変わりなく達者でいることと思う。兄さんも元気である。」
招集された火野葦平が、歓呼の声に送られて、勝ってくるぞと勇ましく、二千名の兵士と二百頭近くの馬と太平丸に乗り組んで戦地に向けて門司港を出発する。
甲板に集まった兵士たちは、これが故国の見納めかと、遠ざかる陸地に向けてちぎれんばかりに日の丸を振るんですが、いつまでたっても陸地が見えてるのでイライラしてくる。
玄界灘の島影をぬって進んでたと思ったら、どこかの島に停泊しちゃった。
二週間ほど停泊しっぱなし。
まあ、戦争ですからねえ、予定通りにはいかないと思いますが、二千名の兵隊と二百頭の馬を乗せたまま二週間って?
そのうち馬が倒れだす。
日の当たらない船倉につなぎっぱなしではねえ。
あわてて馬を上陸させる。
ついでに兵隊も上陸させて訓練を始めるんですが、兵隊も狭いところで何日もじっとしてたのをいきなり訓練で大変だったみたいです。
この、書き出しの部分を読んだだけで、「これ、昭和13年にこのまま発表できたのかな?」と思いますよ。
11月5日にやっと敵前上陸ということになるんですが、戦争より進軍が大変。
道が泥んこなんです。
ただの泥んこじゃないですよ。
歩けない。
馬も歩けない。
仕方なく、水田を歩く。
水田のほうがましって、どんな道じゃ。
そういえば、私は「泥んこ道」を知りませんね。
子供のころ住んでた東大阪市は、小学校の先生によれば昔は海だったので砂地が多かった。
大雨で水につかることはありましたが、泥んこにはならなかった。
あっという間にアスファルト舗装が普及したから、泥んこ道を知らない。
人間も馬も足を取られて歩けないような泥んこ道。
想像できません。
『土と兵隊』というより、『泥んこと兵隊』という感じです。
『麦と兵隊』にも泥んこ道が出てきます。
人も馬も歩けないし、車も走れない。
で、麦畑を行く。
兵隊も車も麦畑を行く。
お百姓さん、いい迷惑。
『麦と兵隊』という題名から、私のスケールの小さな頭で、「麦の穂」と「兵隊」を思い浮かべてたんですが、「見渡す限りに広がる麦畑」を思い浮かべないとだめなんです。
『土と兵隊』のほうが、簡潔で緊張感があると思いますが、両方とも力作です。
新潮文庫のカバーの解説では、火野葦平は戦後苛烈な戦争責任追及を受けたとありますが、これを読んだ限りでは、気の毒だと思いました。