申し訳ないけど、私は突然なにかを思い出すことがあります。
謝る必要はないかもしれんが、私自身なぜ今こんなことを思い出すのかわからんので、聞かされる方はもっとワケがわからないだろうと思うので、とりあえず謝っときます。
小学生のとき、福井県に義援金を送ったことを思い出した。
何のための義援金かは忘れた。
五十数年前、福井県で何か災害があったんですな。
先生の話では、私が通っていた東大阪市の小学校の生徒達が、戦争中福井県に疎開してお世話になった。
その恩返しに義援金を送るということであった。
小学生だった私は、「疎開したんです」「そーかい」てなことは考えなかった。
「疎開した」と聞いて、私は、「疎開って、疎開道路の疎開のことか?」と思った。
私が住んでいた所は、細いくねくねした道が多かった。
その中で、大人たちが「疎開道路」とか「新道(しんみち)」とか呼んでいる太い道路が一本だけあった。
太い道路といっても、当時小学生の私にとっての話で、今となっては太くもなんともない単なる二車線の道路である。
空襲による火災が広がるのを防ぐために作った道路だと思う。
今、あの道を「疎開道路」と呼ぶ人はないだろう。
私は、「このあたりにいろんな道があるのに、なぜあの道だけ名前がついているのか」と不思議に思っていた。
大人たちが、「中学校」のことを「しんせい」と呼ぶのも不思議であった。
「鹿之助ちゃん、あんた来年からしんせいか?」
そのうち、「しんせい」とは「新制中学」のことだと知った。
私の小学生時代は、「戦後」であったということですね。