前に、「これが伝統の祭なのか」という文を書いた。
山の中で、村人たちが飲んだり食ったりしていたという話である。
今読んでいる本に、柳田国男の「日本の祭」からの引用がある。
「本来は酒食を以って神をおもてなし申す間、一同が御前に侍座することがマツリであった。さうしてその神にさし上げたのと同じ食物を、末座において共々にたまわるのが直会(ナオライ)であったろう」
ということは、「これが祭なのか」なんて、無知文盲失礼千万な言い草であって、あれこそ祭の中の祭なのであった。
失礼しました。
たぶん、じいさまが山から笹を持ってくるのを、着飾った若い女性にさせたり、何かを担いだり、行列を作ったりと、だんだんと工夫を重ね、カネと手間隙をかけて、今私たちが知っているような立派な「祭」になっていくのであろう。
あの村の人たちは、何百年の間、工夫をしようという気がなかったのか。
ず〜っと、先祖代々カネもヒマもなかったのか。
などと、一層失礼なことを考えてしまう私である。