新聞の書評で、日本でのビートルズ事情を書いた本を取り上げている。
評者は、その本に、「ビートルズのファンは少数派だった」と書いてあるのが意外だったらしい。
この人は、ビートルズファンが多数派だったと思っていたのだろうか。
ファンなどというものは少数派に決まっている。
私は、ビートルズが好きだったが、「ファン」だったという意識はない。
高校三年でビートルズを知ってから、毎朝、テープに取ったビートルズの曲を聞いてから家を出た。
レコードは買えなかった。
ポピュラー音楽を聞き出したのは高校一年からである。
小さいころからラジオから流れるジャズなんかは耳にしていた。
小学生のころ、向かいの家のお姉さんが、ポール・アンカのファンで、近所一帯に聞こえるような大音量でレコードを鳴らしていた。
しかし私は洋楽を聞くようにはならなかった。
高校一年のクラスで、M君と隣の席になった。
彼は、ちょっとカゲのある男だった。
いつも英語の歌を歌っていた。
何を歌っているのか聞くと、ジョニー・ソマーズの「内気なジョニー」だと言った。
どこで覚えたのか聞くと、ラジオのヒットパレードだという。
それで私も聞き始めた。
M君のモットーは、何事もかっこよく、というものであった。
彼から見ると、私はカッコ悪かったようだ。
色々指導された。
私の歩き方が悪いと言う。
足をこう伸ばして、ヒザはこうで、腰はこうと、細いことを言った。
ポケットに手を突っ込むのはこうして、カバンの持ち方はこうしろ。
人間が階段を上り下りする姿は美しくないので、できるだけ早足ですること。
彼に、「最近良くなった」と言われたことがあるから、私は指導に従っていたのであろう。
英語の発音にもうるさかった。
授業中、英語らしい発音で読まないといけないと言った。
同感であった。
あいつもダメ、こいつもダメと厳しく批評した。
一人ずつ黒板の前に立って、英詩を暗誦する試験があった。
私は、先生よりもM君に何と言われるかが気になった。
水仙を歌った詩であったが、最後の、「golden daffodils」というのを、私はできるだけかっこよく、もったいをつけて、気取って、ドラマチックに発音した。
席に戻ると、M君は、「最後、良かったぞ」とほめてくれた。
私の英語の発音が良くて、歩く姿がカッコいいのはM君のおかげである。