若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「非常時国民全集・生活篇」を読む

昭和九年中央公論社刊。
かなり以前に古本屋で買った本である。

当時のえらい人がいろんな事を書いている。

巻頭は、徳富蘇峰の「非常時に処する国民の覚悟」
「日本は亜細亜の盟主となるべき運命を授けられた」「如何なる敵国が姦計を用いようとも内部から崩れることがないよう護国の精神を充実させねばならない」

アメリカと北朝鮮がいっしょになったような感じである。

「大学教育に憧るるなかれ」という文章を書いている人がある。
大学の数が増えすぎて、大学卒業者の値打ちがなくなっているという。
今でも通用しそうである。
この人は、日本人は寿命が短いから、当時の流行語の「受験地獄」をくぐりぬけて、大金をかけて大学を出ても、モトが取れないというのである。
寿命については、今では通用しない。
大正末の日本人の平均寿命は42歳。イギリス、48歳。アメリカ、58歳。
当時の日本の乳児死亡率は100人中15人程度と書いてある。

「非常時と結婚」「都会青年の享楽生活」というのもある。

日本女子大の教授が「婦人も職業戦線へ」を書いている。
専門的知識を必要とするのが「職業=プロフェッション」であるから、まだ真の意味での「職業婦人」すなわち「プロフェッショナル・ウィーメン」は日本では少ないと言っている。
職業婦人の歴史は、明治31年日本銀行が補助員として女子を採用したのが始まりという。
その後、明治33年に、三越や郵便局、明治36年鉄道省が女子を採用し始めたらしい。

昭和6年東京市の調査では、職業婦人の76%が家計補助のために働き、自活のためは10%、嫁入り支度のためが3%。
同じ調査で、雇い主に職業婦人の欠点を挙げてもらった。
「職業婦人は、理性に乏しく、感情に支配されやすく、放縦小心、卑屈で饒舌で嫉妬心が強く、責任感が薄い」そうです。

そこまで言うか、とも思うが、内容は今でも立派に通用する。
「職業婦人」を「男というものは」に変えても立派に通用する。

この人の結語は、「実質上の、婦人の生活、職業的地位は実に低く、市民権、参政権をすら拒否されている現状に目覚める時、貧困薄給と誘惑蔑視の嵐の中に立っている職業婦人の群れを見る時」、先進的職業婦人を強め、高めていかなければならないと思う、というものである。