昨日、お隣のご主人を夕食にお招きした。
二月に奥さんを亡くされて、五月に東京の息子さんの所へ越された。
隣の家は、そのまま置いておられて、東京に行かれた後も、用事で何度か奈良に来ておられた。
八十歳というお年の割にはしっかりしておられる。
先日家内がお会いしたら、今回が最後で、もう奈良に来ることもないでしょうというお話だったので、お別れということでお招きしたのである。
十年ほどの、短く浅いお付き合いではあったが、「理想的老夫婦」という印象であった。
ご主人は、小柄な、見るからに「かたい人」という感じで、きっと律儀にサラリーマン生活を勤め上げられた方なのだろうと思っていた。
食事をしながら色々お話をうかがった。
昭和十九年、東京帝国大学応用化学科を卒業後、海軍士官となり、終戦後は財閥系化学メーカーに就職、日本で最初のポリエチレンプラントを立ち上げるなど、化学工業の第一線で活躍され、最後は子会社である一部上場企業の社長を勤められたという、立派な経歴の持ち主であった。
戦後日本の経済発展の牽引車という立場でがんばってこられた方だと思うが、現在の風貌からは、そういう雰囲気は感じられない。
上手に、鎧兜を脱がれたという感じである。
私達がここに引っ越してきてから、時々「ピー、ピー、ピー」と、三音からなる口笛のような音が聞こえるのに気づいた。
聞こえるたびに、なんだろうか、誰が鳴らしているのだろうかと不思議に思っていた。
最近、家内がお向かいの奥さんから、あれはお隣のご主人が雀を呼んでおられるのですよと教えてもらった。
昨日、その話を持ち出したら、アハハと笑われて、「私は、雀と仲がいいんです」と言われた。
四国のお生まれで、子供のころ、家の中に雀が巣を作っていたそうである。
松山中学の時代には、下宿の部屋に、鷲に追われた雀が逃げ込んできたので、窓を閉めて鷲を捕まえたこともあったとか、雀とは縁が深いと話された。
口笛が聞こえなくなって、雀がさびしがっているだろうとは思うが、代わりに私が、という気にはならない。
楽しいひと時であった。
たぶん、もうお会いすることはないだろう。
しかし、昔話というのは、聞かせてやろうと言われると、うるさく感じるものだし、聞いてみたいなと思うころには、聞かせてくれる人がいないのですね。