きのう、久しぶりで家内と映画に行った。
前に見たのは、「ラットレース」というドタバタ喜劇で、大いに笑えた。
ただ、客が十人ほどだったので、笑ってもむなしい感じがした。
きのうも、その程度の客の入りではないかと思っていたが、小さい劇場ながらほぼ満席に近く、驚いた。
フランコ・ゼッフェレッリ監督の作品である。
この人の作品では、「ロミオとジュリエット」と「ブラザーサン・シスタームーン」を見た。
彼は、私の恩人の一人である。
大学時代に、「ロミオとジュリエット」を見て、自分の読書力の無さを思い知らされた。
私は、結構本を読んでいると思っていたが、字を追っているだけだということを教えてくれたのがゼッフェレッリさんである。
そのことをはっきり思い知らせてくれたことを感謝している。
「永遠のマリアカラス」は、全盛期を過ぎてなお過去の自分に捕われるマリア・カラスが主人公のようになっているが、「過ぎて行く時」を描いているように思った。
「衰え」を劇的に描きすぎているような気がした。
我々普通の人間は、それほど劇的に「衰え」を感じることが無いからだろうか。
視力が落ちたとか、酒の量が減ったとか、どうでもいいような、そうショックを受けるほどのことの無い「衰え」が多いからだろう。
父の晩年のこと、散歩から帰って
「いや〜!これほど衰えてるとは思わんかったな〜」
と言ったことがある。
散歩の最中、公園の側を通ったら、子供がゴムまりで遊んでいた。
ボールが金網のフェンスを越えて父の方へ転がってきた。
男の子が、「おじいちゃーん!ボール取ってー」と言ったので、ボールを金網越しに投げたら、金網を越せなかったと言うのだ。
スポーツマンであった父にはショックだったのだろう。
私は衰えを感じてショックを受けるものはなさそうである。
それどころか、十年前から習い始めたエレキギターは、年々上達している。
果たして、私のエレキギターは、いつか全盛期を迎えることがあるのだろうか。
そして、いつの日にか「衰え」を感じる時が来るのだろうか。
楽しみである。