若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ドロレス・ハート

この女優の名前を知ったのは四十年前、私が高校生の時であった。

その頃、「三本立て百円」というような映画館があった。
「戎橋劇場」とか「大劇名画座」「大毎地下」などによく行った。

そこで見た青春映画に出ていたのが、ドロレス・ハートである。
清純で知的な美人であった。また彼女の映画を見たいと思っていたが、その後、彼女の名前を見ることはなかった。

いつしか忘れてしまっていたが、私の脳は、どうでもいいつまらんことを脈絡もなく断片的に記憶するのが得意なので、数年毎に彼女の名前を思い出していたのである。
見た映画の事も、彼女の顔さえも忘れているのに、名前だけを思い出す。
思い出すたびに、どうしているんだろうと思った。
たいした女優ではなくて消えて行ったのであろうと思っていた。

去年、高校の友達と酒を飲んだ。
その時、K君が大変な映画通であることを知った。
彼とは、高校三年間同じ組だったのだが、彼が映画ファンとは知らなかった。
なんと、彼はドロレス・ハートを知っていた。
青年実業家と結婚して引退したのだと言った。

なるほど、と納得したが、ちょっと待て。
K君以上の映画通が、インターネットで彼女について何か発表してるかもしれん。

早速調べると、ありました。
「女優の館」
ここには、彼女の写真と、出演作品が出ていた。
そして、アメリカの映画関係のホームページが紹介してあった。

そちらを見て驚いた。
ドロレス・ハートという女優は1957年と58年にプレスリーの相手役を務めている。
58年には、映画でプレスリーの「初キス」の相手をして、「今年全米で一番うらやましがられた女の子」に選ばれている。

私が見たのは、どうやら1960年の作品「ボーイハント」のようである。
この映画の大ヒットで、スター街道まっしぐらと思われた彼女は、1963年、24歳にして映画界を引退、修道院に入ってしまったのである。

K君が言った「青年実業家」ドン・ロビンソンとは、婚約だけで、結婚はしなかったのだ。
彼も独身を通し、今でも二人は良き友であるということだ。

映画スター時代の彼女を知る新聞記者が、修道院で彼女に会った。
相変わらずの美貌と、落ち着いた幸せそうな様子を見て、ドロレス・ハートの選んだ道は正しかった、と書いていた。

四十年後に、ドロレス・ハートのすべてのほんの一部を知ることになろうとは思わなかった。