「アフリカの子供」(?)という本を読んだ時、音楽にも色々あると思った。
フランス領ギニアで昭和のはじめに生まれたアフリカ人作家の少年期の思い出だ。
父親は鍛冶屋だった。
当時の鍛冶屋は、鍬や鋤を作ったり、自動車の部品の修理もした。
金でアクセサリーを作って欲しいと頼まれるのが腕のいい鍛冶屋の証明だった。
この人の父親は腕のいい鍛冶屋だったのでよく女の人が砂金を持ってやってきた。
そういう女性は一人では来ない。
「ほめ歌歌い」を連れて来る。
なんじゃそれは?日本語にしただけではわからん。
女の人は砂金を出して、「これで首飾りを作ってほしいんですが」
お父さんが、「仕事が混んでるんで三日後になります」
「すぐほしいんです」
「いやー、無理ですなー」
「では」
と、ここで竪琴をかき鳴らして「ほめ歌歌い」登場。
「♪ハア〜、あなたは素晴らしい鍛冶屋さん。頼まれたら嫌とはいえないいい男。もてるはずだね鍛冶屋さん」
等と声高らかに歌うと、「う〜ん、しゃーないですなー」とお父さんは他の仕事をほったらかして砂金を溶かし始める。
「ほめ歌歌いの歌」にはそういう力があったんでしょうな。
仕事が始まると、「ほめ歌歌い」はまた歌いだす。
「♪しばしも休まず槌打つ響き。仕事に精出す村の鍛冶屋」
「お父さんと一緒になって仕事をしているようだった」と書いてある。
見事な首飾りが出来上がって女の人は大喜びする。
そこでまた「ほめ歌歌い」が歌いだす。
「♪オー素晴らしい首飾り。こんな美人を喜ばせ、憎いネこん畜生色男!」
こんな歌詞かどうかは知らんが、とにかく曲に乗ってお父さんは踊りだす。
これは腕のいい職人だけが踊っていい曲なのだ。
弟子や村人が見守る中、お父さんがちょっと恥ずかしそうにステップを踏むのを、少年は誇らしく見つめていたのであった。
こういう歌もあったのだ。
この本を読んだ頃、「河内水車」の職人だった人のインタビュー記事を読んだ。
昭和のはじめに大阪で水車を作って農家に売っていた人だ。
集金は秋の収穫後だったそうだ。
「一番つらかったことは何ですか」と聞かれて、「親方が厳しくて」と言うかと思ったら、「競争が激しかったことやな〜」
時は同じ昭和の初めでも、アフリカの鍛冶屋は「ほめ歌歌い」の歌に乗って悠然と踊り、河内の水車屋は値切られて泣いていた。