若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

芝生の哲学

東京から妹夫婦が来た。

なんと二人で若草山に登ってきたのだ。
若草山の頂上で、ここに数万の観衆を集めた兄鹿之助伝説のライブを偲び、春日大社で今後ますますの活躍を祈ってくれたのだ。
と思う。

先日刈ったばかりの我家の庭の芝生をほめてくれた。
こういう場合、「我家の猫の額ほどの庭」というのがお決まりだが、私は言わない。
「猫の額」と「狭い」というのが結び付かないからだし、第一、我家の庭は狭くないからだ。
「ゴルフ場のような」とは言わないが、サッカー場よりはやや小さく、テニスコートの方が広いかもしれんが、卓球台とはいい勝負だ。
我家の庭で卓球のダブルスはちょっと窮屈かもわからないが、トランプの一人占いくらいは十分出来る。
したい人、来て下さい。

私は小さい頃から草花や動物を愛するような優しい心の持ち主ではなかったが、十年程前、庭に芝生を植えてから、芝生に力を入れるようになってしまった。
最初の年、きれいだなと思って見ていた芝生に、二年目から雑草が目立ちだした。
気になるので抜くのだが、追いつかない。
植木屋さんが笑って、除草剤を使わないと無理だと言う。

除草剤を使ってみてた。
効く!

お隣も芝生の庭だ。
この芝生がいつ見ても、どこから見ても我家の芝生より美しい。
お隣は、老夫婦お二人でこまめに手入れされているからだろうとあきらめていた。
ところが、お隣でも「隣の芝生の方が美しい」ということになっていたそうだ。

「隣の芝生症候群」だ。
「鹿之助の十戒」に「汝比較するなかれ」というのがあるが、「隣の芝生症候群」の前には無力だ。

芝生は手入れを怠ると、たちまち荒れる。
しかし、手入れした分芝生が応えてくれるかというと、芝生はそんな殊勝な植物ではない。
割に合わない。

あるバレリーナの言葉を思い出す。
「一日稽古を休めば自分でわかる。二日休むと相手役にわかり、三日休むと観客にわかる」
猛練習で何とか維持できるものが、サボればあっという間に消えていくということだろう。

芝生も同じだが、その点、私のギターは大丈夫だ。
ほったらかしでもどうということはない。
何日練習しなくても誰にもわからない。

芝と言うより雑草のようなギターだ、というとなんだかカッコいいように思えてきた。