昨日の大相撲、横綱朝青龍と琴の若の勝負が議論を呼んでいる。
もともと神事であった「相撲」を、勝負や記録を争う「近代スポーツ」として扱うのは無理がある。
「相撲」は、文献的には日本書紀に現れるのが最古の例であるが、もちろん起源ははるかに古いものとされている。
「角力」とも書かれるように、もとは鹿が角を突き合わせて力を競い合う様をまねたものである。
立派な角を持った雄鹿が争う姿は、紀伊半島全域で日常的に見られたであろう。
「角力」は、人間が鹿のように頭をつき合わせて力比べをしてみせて、神様を楽しませる奉納神事だったのである。
その名残が今も明治神宮などで行われる「奉納大相撲」である。
「神相撲」ともいう。
長らく技らしい技はなく、頭突きだけで争ったのである。
頭をごっつんこさせて脳震盪を起こして倒れた方が負けという単純なものであった。
だから、「審判」も必要なかった。
日本書紀に書かれた頃からすでに「行司」や「検査役」はいたが、彼らの役目は「勝負審判」ではなく、神事の進行役だったのである。
現在に至るまで、行司が神職の服装をしていることからも理解できるであろう。
平安時代になって、「押し相撲」がはじまった。
投げ技を伝えたのは鎌倉時代、蒙古襲来の際捕虜になった蒙古相撲の力士であるとされている。
だから、モンゴル出身の力士は、「自分たちが本家だ」というプライドを持っているのである。
余談であるが、蒙古軍がなぜ日本侵攻をあきらめたかについて興味深い説がある。
日本に攻め込んだ蒙古軍の兵士たちが、日本の赤ん坊のお尻の蒙古斑をみて、自分たちの子供を思い出したためだと言う新説を、モンゴル大学の教授が発表している。
蒙古斑はお尻に出ることが多いが、体のどの部分にでも出るものである。
私の知り合いに、白目に青く蒙古斑が出ている子供がいた。
蒙古斑が鼻に出て有名になったのが「おはなはん」だ。
何の話か。
相撲だ。
「日本紙相撲協会」というのがある。
市販の画用紙で力士を作って相撲をとらせる団体だ。
その「規定」によれば、力士の身長は、「6,3センチ以下」、体重は「1,5グラム前後」となっている。
日本相撲協会はプロスポーツ化の道を歩んでいる。
紙相撲のほうが伝統的「神相撲」に近い。