朝刊の記事。
奈良の田原本警察が、飲酒運転の検問をしていたところ、乗用車が逃走した。
追跡して署員が取り囲んだが、運転していた男はドアをロックして「寝たふりをして抵抗」した。
車のナンバーから、自宅に連絡、奥さんが持ってきた合鍵でドアを開けた。
男は、酔払い運転がばれるのが恐くて、車内で心の整理をしていたそうである。
気の小さな男だと笑っていられる立場ではない。
昨日、発表会前の最終レッスンであった。
私の「ホテルカリフォルニア」を聞いて、尊師は、「まあ・・・なんとか・・・」と言われた。
尊師独特の言い回しである。
肯定的表現ではあるが、全然ほめておられないのであるから、もっと練習が必要だ、と思わせられる。
この発表会の最高齢コンビ、YさんとSさんの「ラブミーテンダー」は、歌もギターも所々ぼろが出るが、尊師の評は、「ま・・・ほのぼのとして・・・いいんじゃないでしょうか」
もっと練習が必要だが、少々練習したところでどうなるものでもないと言う、尊師の仏教的諦観の表明である。
発表会が近づくと悪夢にうなされる。
以前のように、がけっぷちで演奏する夢とか、ギターの弦が垂れ下がっていると言った悲惨な夢は見なくなった。
去年は、ステージでアンプを調整しようと思ったら、どこにもつまみが見当たらないという、かなりマシな夢であった。
今日の夢は、演奏に関するものではなかった。
ギターを習い始めて12年、やっとギターの悪夢から解放されたのだ。
ついにここまできたかと感無量だ。
夢で、私は会場のライブハウスに着いて、サングラスを忘れたことに気づいた。ルックス重視、ビジュアル系の私にとっては致命的だ。
おまけに、サンダル履きではないか!
何年か前、実際にサングラスを忘れたことがある。
アンプの調整などはサングラスでは見えにくいので、演奏する直前にサングラスをかけるのだが、そのときめがねケースを開けて私はあっと声を上げた。
老眼鏡が入っていたのだ。
そんなことがあったので、こういう夢を見たのかもしれない。
焦った私はサングラスを取りに帰ろうとタクシー乗り場に急いだ。
サンダルで走りにくい。
タクシー乗り場に着くと、3人もの客が車を待っているではないか。
ワーン!と焦っている夢であった。
久々に私の脳に聞きたい。
どうしてこんなしょーもない夢を見るのだ?