朝の駅で、毎日のように見かける女子高生の三人組がいる。
私学の制服を着て、大きなバッグを肩からさげて、三人とも見事に日に焼けてまっくろけだ。
運動部にはちがいないが、三人とも、そう身体も大きくなく、ごつくもない。
見たとたんうれしくなって笑い出したくなるほど黒かった。
その彼女たちだが、最近少しずつ黒さが薄れている。
秋の気配を感じてしみじみする。
「引退」なのだろうか。
いずれにしても、時の流れ、世の無常にそこはかとないさびしさを感じる。
この子達がまっくろけになることは二度とないかもしれない。
彼女たちが再びまっくろけになる日が訪れますように、と祈らずにおれない。
昨日の朝、図書館へ行く時、さゆりちゃん(仮名)を見かけた。
さゆりちゃんは、息子の小学、中学時代の同級生だ。
小学校の三年生くらいまでは、よくうちに遊びに来ていた。
私とスーパーファミコンの「ストリートファイター」をして、散々に私を打ち負かした子だ。
今は大学生だ。
前に日曜に会った時、バイトです、と言っていたから、昨日もバイトだったのだろう。
いい娘さんになったものだと、しみじみする。
ウチの娘たちが小さかった頃住んでいた町は子供が多かった。
女の子たちだけでも、いつも十人近くが集まって遊んでいた。
リーダー格が、最年長、五年生だったか六年生だったかの「あやちゃん」(仮名)だった。
この子がいっしょなら安心、と言うような子だった。
あるとき、この子が小さい女の子たちと夢中になって鬼ごっこをしているのを見たとき、しみじみしてしまった。
「いい娘さん」になる直前の最後の輝きに思えたのだ。
女の子に「しみじみ」するのは、私が男だからだろうか。
どうも、「男の子」には「しみじみ感」がないように思う。
先日、レッド・ツエッペリンの楽譜を探していたが見つからない。
ひょっとして息子が友達に貸したのじゃないかと思って聞くと、案の定K君に貸したままだと言う。
K君はあわてて返しに来た。
しみじみ感なし。
昨日、図書館で何かいい本がないか探していると、私と書棚の間を、四つんばいになった男の子が二人、行ったり来たりしてふざけている。
小学三、四年生だ。
三、四歳ではない。
しみじみ感なし。