若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

所変われば葬式も変わる

昨日は、横浜の叔父の葬儀に参列した。

三十数年前、私が初めて横浜に行ったとき、驚いたのは町で見かけた葬式であった。

パチンコ屋の開店祝いみたいな花輪が飾ってあった。
なんじゃこれは!?
さすが関東、文化果つる所だと思った。

何年か前、富山でも驚いた。
焼香の時、チャリン、チャリンという音がするのに気づいた。
なんと、焼香机に貯金箱みたいな穴があいていて、そこから硬貨を入れていたのだ。今回横浜で気づいたのは、「小林斎場」とか「中村斎場」とか、いろんな葬儀会場があることだ。
大阪のように、「公益社」などの大手チェーンが進出していないのだろうか。

私は、大阪の大手チェーンでの葬儀に慣れてしまっている。
スーツを着た若い社員たちによって、テキパキと進められる「ビジネス風葬儀」や、ロングドレスの女性によって進められる「妖しい宗教風葬儀」などだ。
スモークがたかれ、レーザー光線が舞うステージを、電動車に乗った棺桶が「あの世」へと動いて行くというとんでもない葬儀も経験した。

昨日の葬儀は、一昔前の「葬儀屋のおじさんが仕切る葬儀」で、何となく落ち着けた。

会場に飾ってあった叔父の写真は、十年程前のものらしいが、私にはいやに老けて見えた。
私にとっての叔父は、学生時代に世話になった三十数年前の叔父だからだろう。

私の知っている誰かが亡くなる事は、私の一部が剥がれ落ちていく事のように思える。
若い頃にはなかった感覚だ。

葬式の楽しみは、普段会えない親戚に会えることだ。
母の妹に会えた。
80を越した叔母は、ますます私の母に似てきている。

従兄弟達にもあったが、年を取るにつれ、皆親に似てきている。
あたり前のようで不思議だ。

叔父に先立って、叔母は十年前に亡くなっている。
大学時代、私は毎週のように家に手紙を書いた。
母はすべて保存していた。
数年前、その手紙を読んだら、叔父の家での出来事もいろいろ報告している。
「スリッパ立て」の一件も書いてあった。

叔父一家の黄金時代だ。
懐かしがるだろうと思って、ワープロで打って叔父に送った。
もちろん、「夫婦喧嘩レポート」は「モザイク」と「ぼかし」をかけて。

叔父からすぐ電話がかかった。
「キミはなかなか文学者だねー」

あまり喜んでもらえなかったようだ。
叔父には叔父の「黄金時代像」があったのだろう。