昨日、田川建三さんの、ヨハネの福音書についての講義を聞きに行った。
連続講義で、始まったばかりである。
私は聖書を読んだことがない。
家内について行ったのである。
田川さんは、戦闘的聖書学者だ。
「いーかげんなことは許さん!ぜーったい許さん!」という感じの人だ。
田川さんの本を読んで、その「田川節」とでも言いたくなるような「名調子」にひかれて、話もきっと面白いのではないかと思って参加した。
「ヨハネの福音書」を読んだことがない私が、「戦闘的聖書学者」の、少人数の「ヨハネの福音書」の講義に参加するとは、いくらなんでもいい度胸と言うか、あつかましいというか、あきれたものだ。
出席者は二十人ほどで、皆さん、「予習してきました」という顔つきであった。
「当てられたらどうしよう」と、ハラハラする快感を味わう。
ヤマハの発表会で、弾きそこなったらどうしようとハラハラするのと似たような感じだ。
「キミは、『ヨハネの福音書』を読んできたのかね!?なぬ!?読んでない!?鞭打ち100回!」
しかし、素人に「当てる」などという無駄なことはせず、正味2時間、みっちりしゃべりずめ。
何十年という研究の成果がほとばしり出るという感じで、期待通りと言うか期待をはるかに上回る「田川節」炸裂、パワー全開!
たっぷり楽しませて頂きました、などと不謹慎なことを言うと、鞭打ち100回かも知れんが、100回はともかく、2、3回の鞭打ちで済むならまた聞かせていただきたいと思える講義であった。
思えば、大学卒業以来、自分で本を読むことはあっても、「講義」を受けたことがない。
卒業してすぐ、商工会議所主催の、「ビジネス文書の書き方」という講習に参加したことがある。
講師の誤字の多さにあきれて一日でやめた。
それ以来だ。
立派な先生について勉強することは楽しいことであるし、人間の義務であり特権であると思った。
いかに私でも、駄洒落をかましたり、どうオチをつけようかと頭をひねったりする気はしないのであった。